開館から2年を迎えた水戸市民会館。1年目の来館者数は、当初の目標60万人を大きく超える100万人が来館し、この建物が単なる文化施設以上の存在になったことを物語っています。
東日本大震災で被災した旧市民会館の移転建替えとして誕生したこの建物の最大の特徴は、設計者の一人である建築家・伊東豊雄さんによる大規模木造建築であること。そして、1500立米もの耐火集成材を使用した、全国的にも珍しい木造複合文化施設として注目を集めています。
伊東豊雄さんの思いと、設計者たちの試行錯誤は第1回、第2回で語りました。今回は水戸市民会館を語る最終回として、新市民会館整備事業(当時)の担当として奔走した水戸市の海老澤佳之さんと、運営を担当するコンベンションリンケージの鈴木絵理衣さんに、この木の建物に込められた願いや、実際に使う人々の様子を伺いました。
木造建築という選択に至るまで

「実は、当初から木造建築を前提にしていたわけではないんです」と海老澤さんは振り返ります。
1990年頃まで歩行者で賑わっていた水戸の中心市街地。それが2010年頃には、少子高齢化などで減少していました。それはあいつぐ大型商業施設の閉店や茨城県庁の郊外移転が原因と考えられます。
海老澤さん「20万人の人出の減少というのは、ひとつのまちが消滅するくらいの規模なんです。なんとかして、この中心市街地をもう一度活気のある形にしたいと思いました」
そして、泉町1丁目北地区市街地再開発事業の一環として、旧京成百貨店跡地に2代目の水戸市民会館の建設が決まりました。設計者を選定する公募では「街を元気にしたい」という思いをプロポーザル参加者に伝えます。
プロポーザルで特に工夫したのは、行政職員を審査員に入れなかったこと。今回は、専門家だけで審査を行うことを水戸市は決めます。
「審査は、朝9時から夜6時まで、審査員の先生方が議論を重ねましたね」と海老澤さん。多数決ではなく、ひとりでも強く推す案があれば、その人が納得するまで議論を続けたといいます。53もの応募案をA0サイズで印刷して並べて、一つひとつ丁寧に、クリエイターの思いを紐解きました。
さまざまなアイデアが提示されるなか、伊東豊雄建築設計事務所・横須賀満夫建築設計事務所共同企業体から水戸の城下町としての歴史や自然環境に着目した木造建築の提案を受けたのです。
海老澤さん「伊東先生の作品は『せんだいメディアテーク』のようなイメージが強かったのですが、今回は全く違う提案で、水戸の街並みに合わせた木造建築でした。私たちからすると、それがしっくりきました」
こうして水戸市民会館は、当初誰も想定していなかった「大規模木造建築」という道を歩むことになりました。53案の中から選ばれた伊東豊雄氏の提案は、構造部に約1,500立方メートルもの耐火集成材を使用する計画に。いよいよ建設段階へと進んでいくことになります。
水戸市として、心配だったのはやはり予算。公共施設は計画段階から竣工まで長い年月を懸ける一大プロジェクトです。当初予算から大幅に増額した例は枚挙にいとまがありません。しかし、水戸市民会館は、水戸市の「想い」が、お金の使いかたにもあらわれています。
海老澤さん「予算は最初から180億円から192億円までと決めたんです。公共施設ですから、小出しに予算が膨らむと、最初は建設に賛成でも反対に回る人が出てきちゃうんです。これは他の2,000席規模のホールと比べても決して安くはない金額です。小出しに予算が膨らむのを避けるため、最初から必要な金額を示すことにしました」
できるなら、水戸市民がみんな喜ぶような施設にしたい。その第一歩は、ひとりでも多くの市民が「納得」してもらうものづくりをすること。素敵な建物をつくることはもちろん、どんな風につくるのかにもこころを砕きます。
竹中工務店でも約1,500立方メートルという耐火集成材をコントロールするのは並大抵のことではありません。材料費は契約時より上がりましたが、ウッドショック前後という際どいタイミングにより、ギリギリの資材調達と施工だったといいます。
大規模な公共施設でありながら、心が落ち着きくつろげる。ありそうでなかった建築をつくるまでの物語はこれまで綴ってきましたが、建築はできた「その後」こそが、大事なのです。

「木のぬくもり」が生み出す化学反応
水戸市民会館は2023年(令和5年)7月2日に正式開館。開館記念式典では狂言師の野村萬斎さんによる上演が華々しく行われました。また「やぐら広場」ではNHK水戸児童合唱団の歌声が響き、集まった1,700人の市民を魅了しました。
こけら落とし公演は7月8日(土)9日(日)、「YUZU TOUR 2023 Rita」ツアーの一環として、ゆずのコンサート。この公演は、ゆず単独として初の茨城公演でもありました。
この会館は、水戸市民が一流の文化に触れ、また、市民ひとりひとりが創造していく場であることが示されました。

会館の運営を担う鈴木さんは市民と会館をつなぐパイプ役です。水戸市民会館は市民にどんなふうに受け止められているのかと伺うと「木のぬくもりが、すごく好評なんです」と目を輝かせます。
鈴木さん「『こんな大きな建物なのに、なんだかほっとするね』って言ってくださる方が多いんです。この建物に入った瞬間から、みなさんの表情が柔らかくなる気がしています」
この「ほっとする」感覚が、コンサートなどを楽しむ「大規模複合文化施設」の役割以上の使われ方を次々と生み出しているといいます。

展示室では年に数回のプロレス開催、500席の中ホールでは市民グループによる手作り公演もあるという、なんともほっこりとしたエピソードです。運営面での大きな特徴は「NGをつくらない」こと。
海老澤さん「隣接する『水戸芸術館』は比較的格式高いイベントが多く、貸館を行っていないため、市民からは「もっと自由に使える公共の場がほしい」という声がありました。イベントなどの利用時間も柔軟に対応しています」
鈴木さん「大ホールの稼働率は98%を超え、むしろ抑えたいぐらいです。木の温もりのある空間は、特に若い方々に好評なのも嬉しくて。ここは、みんなの夢を実現できる場所なんだなって、しみじみ感じました」
伝統芸能からコスプレイベントまで、多様な文化を受け入れる懐の深さは、木のぬくもりがもたらす安らぎと無関係ではないでしょう。
また、水戸市民会館にはホールやホワイエだけでなく、市民が日常的に集える場がたくさんあるのも特徴。コンサートやイベントがなくても、ふらりと立ち寄れる市民会館なのです。
平日は学生たちの勉強場所として人気で、夜22時まで開館しているため、親と待ち合わせて帰る学生さんなども多いそう。市民会館の灯りは、まちをあたたかく照らす役割も担っています。


木と想いが紡ぐ、まちの新しい物語に
水戸市民会館は、新しい文化にふれる機会をもたらす役割と、市民が自由に表現をしたり、なにげない日常を過ごしたりする居場所としての役割、このふたつを両立させたことでまちにフィット。
そして、木造建築の新しい可能性を示すと同時に、現代における公共施設のあり方にも一石を投じています。地域の文脈を受け継ぎながら新しい文化を受け入れる挑戦は、全国の地方都市にとって大きなヒントになると感じました。
海老澤さん「水戸って、不思議な街なんです。城下町の歴史があって、近くに偕楽園など由緒ある自然もあって、でも新しいものも受け入れる。この市民会館の木造という選択も、そんな水戸の気質にすごくマッチしているんじゃないかって思います」
コンクリートの建物が多いまちなかで、約1,500立方メートル圧倒的な木架構が織りなす空間。それは単なる建築技術の成果を超えて、人々の心に安らぎを与え、自然と人が集まる場所を創り出しました。
おふたりに、今後の展望を伺うと「市民次第ですが」と前置きつつ、こんなふうに話してくださいました。
鈴木さん「木のぬくもりを活かした様々な企画を考えています。例えば「やぐら」の下でのマルシェや、木造空間を活かした2.5次元ミュージカルなど。使用時間も柔軟に考えたいです。木の温もりある空間だからこそ、多くの方の「居場所」になれているのだと思います。これからも市民の皆様の夢を実現できる場所でありたいです」
海老澤さん「この建物は、水戸の新しいシンボルになりつつあります。「いい建物ができましたね」と声をかけていただけることも多く、嬉しく思っています。一流のクリエイターのみなさんのおかげで木造建築の可能性も示せたと思います。
この建物は、伝統と革新の両立を体現しています。城下町・水戸の歴史を受け継ぎながら、新しい文化を育む。そんな場所として、さらに育っていってほしいと思います」
3回にわたってお届けした水戸市民会館の物語は、単なる公共建築の成功事例を超えた、現代日本の地方都市再生のモデルケースといえるでしょう。
水戸市民会館が私たちに示したのは、公共建築における木造の可能性だけではありません。一流の文化に触れる「ハレ」の場と、日常的に過ごせる「ケ」の場を両立させた新しい公共空間のあり方でもあります。
多様な用途を受け入れる懐の深さは、木という素材が持つ包容力と無関係ではないでしょう。コンクリートや鉄骨では生まれ得ない、人間的なスケール感とぬくもりが市民に伝わっているのだと感じました。
この物語は、それぞれの土地の特性を活かした公共建築のあり方を模索する際の、重要な指針となるはずです。

text:アサイアサミ(ココホレジャパン)