「50年前、大学で経済原論を学んだ際、森林には木材生産以外にもCO2吸収や水源涵養など多くの機能があるのに、それらには経済的対価が得られないという現実を知ったんです。その時から『森林が持つ価値を経済的に可視化できれば』と思っていました。50年かかりましたが、世の中が変わったのだと思います」
大分県日田市中津江村。人口約600人の山あいの集落で、800年以上にわたって森と向き合ってきた田島山業株式会社の田島信太郎さんはそう語ります。
2024年2月、田島山業はLINEヤフー株式会社と、ある契約を結びました。森林由来のJ-クレジットを10年間・毎年CO2換算で1,500トン取引するという長期契約。これは単なるビジネスの話ではありません。「森林を育て続けること」そのものが経済的価値として認められた、林業にとっての大きな転換点でした。
この契約により、田島山業の売上構造は劇的に変化。森を守ることで得られる収入が、木を伐って得られる収入を上回ったのです。「値札のつかない外部性」が「見える価値」に転換された瞬間でした。

しかし、ここに至るまでの道のりは決して平坦ではありません。数々のハードルを乗り越えたのちの「スタートライン」。本記事では、林業会社がJ-クレジット事業に挑戦し、どう森林の新しい価値を社会に届けはじめているのか、それがどれだけの希望を斜陽産業といわれている林業にもたらすのか。田島山業の田島信太郎さんと、実務を担う田島大輔さんに、その全貌を伺いました。

田島信太郎 Shintaro Tajima
田島山業株式会社代表取締役社長。1956年、大分県日田市中津江村で代々続く林業経営者一族に生まれる。慶應義塾大学法学部卒。英国・米国で約3年間の企業研修及び留学を経て西武百貨店(当時)に就職。1985年、28歳の時、先代の急死を受けて後を継ぐ形で林業経営の道へ。1988年、田島山業株式会社を設立。林業旧慣習の刷新と改革のために講演で全国を飛び回っている。林業復活・地域創生を推進する国民会議メンバー、一般社団法人九州経済連合会・農林水産委員会林業部会委員、おおいた早生樹研究会会長、大分県林業経営者協会理事、森を守り地域を活性化する協議会理事も務める。

田島大輔 Daisuke Tajima
田島山業株式会社取締役。1988年、信太郎さんの長男として中津江村で生まれる。慶應義塾大学総合政策学部卒。「日本で創業し、世界で活躍している企業で働きたい」と思い、キヤノン株式会社に就職。2016年、田島山業株式会社の後を継ぐことを決意し、中津江村へUターン。現在、父・信太郎さんとともに林業の改革に邁進している。
鎌倉時代から山を守り続けてきた林業家のルーツを持つ「断固、森林を守る」挑戦者たち

田島山業は、大分県と福岡県の境に位置する中津江村を拠点に、800年以上にわたって森と向かい続けてきた林業家から始まってます。
田島山業の経営理念は明確で「断固、森を守る」。育林・伐採・搬出だけでなく、伐ったら必ず植える「再造林100%」を前提に手入れを積み重ねる林業経営を行っています。
キノマチウェブでも田島山業の取り組みは何度も記事にしています。
信太郎さん 「森を守っていくというプライドがなければ、何のためにやっているかわからない。その思いを、東京のインテリジェンスの高い人たちは評価するわけです。『田島さんは頑張っている、一生懸命森を守っている』と。
でも、実際問題、森を守りながらどうやって飯を食うんですかということになる。守ることが前提で、そこから収益を生み出していかなければならないわけです」
理念は社会的に評価されるものの、それだけでは経済的に成り立たない。林業における根本的な課題です。しかし田島山業は目先の利益のために理念を曲げることはしませんでした。

そんな矢先、2020年7月に記録的豪雨が九州を襲いました。田島山業の山は100カ所以上崩落し、林道が寸断。数年間、木材の搬出ができないという創業以来最大の危機。大輔さんは当時の状況をこう語ります。
大輔さん 「僕らは生産効率を上げ、6次産業化によって直接製材工場などに販売する仕組みを作り上げてきたのですが、災害で物理的に木が伐れなくなりました。しかも、ちょうどウッドショック(世界的な木材価格の急騰)が起きて、ずっと低調だった国産材の木材価格が上がったんです。
『今売ればいい』と思ったときには木が売れなくて、災害復旧が落ち着いた頃にはウッドショックも落ち着き、木材価格は下落していました。あれは辛かったですね」
災害復旧には国や県の補助が入りましたが、総額で1億円近くかかり、結果的には赤字。なによりも「木が伐れない」「木が売れない」林業会社はどう売上を立てたらよいか。
そんな切迫した状況の中で、大輔さんは山そのものの価値を売ることに着目しました。
大輔さん「『カーボンニュートラル』といって、2050年までにCO2排出をゼロにするという社会の流れがあって、その当時、徐々に森のCO2吸収量が経済的価値に変わる仕組みが実装されてきたことを感じていました」
大災害を受けた絶望的な状況がむしろ田島山業を歴史的な挑戦へと駆り立てます。そして、800年続けた森林を守ること、信太郎さんの50年前の学びと40年間の経営、そして大輔さんの先進的な嗅覚が「J-クレジット制度*」を活用することへとつながります。
*J-クレジット制度とは、国がCO₂削減や吸収の取り組みを「見える化」し、その価値をクレジット(排出削減量・吸収量)として認証する仕組みです。経済産業省・環境省・農林水産省の三省が共同で運営する公的制度で、特に森林分野では、間伐や保育、植林・再造林などによって生まれるCO₂吸収量を科学的に算定します。現地でのモニタリングと第三者による審査を経て、CO₂吸収量が正式に「クレジット」として発行されます。発行されたクレジットは、企業が自社の排出量をオフセットしたり、カーボンニュートラル目標の達成に活用したりすることができます。さらに市場での売買も可能で、環境価値を経済活動に取り込む新しい仕組みとして注目されています。

省エネルギー設備の導入や再生可能エネルギーの利用による排出削減、そして森林の適切な管理によるCO₂吸収など、さまざまな環境貢献活動がJ-クレジットの発行対象となります。
従来の林業では木を50年かけて育てても収支が成り立たないという構造的な課題がありました。林業白書によると植栽から主伐までの経費は1ヘクタールあたり約400万円に対し、最終的な収入は約280万円。差し引きおよそ120万円の赤字になります。
その結果、伐採後に木を植えないケースが増え、全国の再造林率はおよそ3割前後にとどまっています。
J-クレジット制度により木材生産以外の森林の価値である「CO2吸収」が経済的価値として初めて認められました。今後は水源涵養、生物多様性保全といった多様な価値の経済化も目指しながら持続可能な林業経営への道を切り開いていくこと目指すのです。
大輔さん「田島山業のJ-クレジットは、当初、売り先も売れる見込みもありませんでした。でもやるしかないという状況と、こつこつやっていれば売れるはずだという思いで参入しました」
木を伐ることだけでなく、育て続けることに価値が生まれる時代へ。構造転換の先頭へ、田島山業が手を上げたのです。
10年契約を支える覚悟と気候変動リスクと向き合う森林管理とは

当時、J-クレジット制度は、存在していたものの森林由来のJ-クレジットの購入事例は少なく、多くの企業がJ-クレジットを購入することの本質的な価値や意味を見出せずにいました。
田島山業は制度を隅々まで理解し、手続きの方法や企業にとっての長期的なメリット、社会的意義を丁寧に説明していくことで、買い手の企業からの信頼を勝ち取ります。
2024年2月15日、田島山業はLINEヤフー株式会社と10年にも及ぶ長期契約を結びました。「LINEヤフーさんも『林業者が営業に来るのは初めてだ』と言っていました」と大輔さんは言います。
10年という長期契約は大きな挑戦でもあります。なぜなら、森林はロングタームで気候変動の影響を真正面から受ける存在だからです。
近年、日本各地で森林火災、松くい虫やナラ枯れといった虫害、記録的豪雨による土砂災害が頻発しています。特にスギヒノキの単一人工林は、病害虫に弱く、豪雨時の土砂崩れリスクが高いという脆弱性を抱えています。万一、契約期間中に森林が大規模に消滅すれば、J-クレジットの供給義務を果たせなくなります。
つまり、J-クレジット事業は「ただ森林があればいい」のではなく、「健全な森を維持し続ける」ことが大前提なのです。
2020年の豪雨災害の経験から、林道のメンテナンスを重視するようになります。林道は単なる運搬路ではなく、森の状態を日常的に観察し、異変に早期対応するための生命線です。田島山業では重機を自社で所有し、小規模な補修は自分たちで行うことで、山の状態を肌で感じ取れる体制を整えています。
大輔さん「クレジット売上が入ってきたことで、売上のために無理して伐らなくても経営が回るようになり、自分たちが好きなペースに近づいています」
信太郎さん「木材の値段はどんどん下がっている。だから仕方なく木を伐ることもある。でも全部伐るという皆伐はやらないと決めていました。台風が来て森がめちゃくちゃになったら損をするかもしれないけれど、全部伐るということは絶対にやりません」
収益が木材だけに依存していた時代は経営維持のために無理な伐採をせざるを得ない場面もありました。しかしJ-クレジット事業により、森を健全に保つこと自体が収益につながる構造に変わったのです。
また田島山業のJ-クレジット事業は、単なるCO₂削減にとどまらず、森林の価値そのものを社会に再接続する取り組みでもあります。
「森を守ることを前提に林業をやっているんです」と信太郎さん。木を伐って終わりではなく、次の世代に森林を残す前提の林業。当たり前のサイクルを維持することが、長期的なCO₂吸収量の安定につながります。
信太郎さん「今年植えた木が50年かけて育つんだったら、50年間続ける覚悟がいる。だから僕らは絶望せず、進むしかないんです」

森林を健全に保つことは地域の防災にもつながります。2020年の豪雨災害で田島山業は復旧に3年以上を費やし、道路を再建しながら森林の再生を進めてきました。「災害は本当に大変です。でも、ピンチの中に必ずチャンスがある」と信太郎さん。そして「私たちは山が崩れて苦しんだかもしれないけど、ゆくゆくはまた山が助けてくれる。山が力になってくれるんです」と大輔さん。
田島山業の森林では、大分県の準絶滅危惧種・チクシブチサンショウウオなどの生息も確認されており、整備によって多様な生態系を守る活動を続けています。森林が元気であれば、そこに棲む命もまた循環していきます。
これらの要素が連動することで、田島山業の取り組みは「森林を守る」ことを単なる理念ではなく、具体的な社会的価値になっています。
また田島山業は環境省の「30by30」推進プログラムにおける「自然共生サイトの所有者・管理者」であり、LINEヤフーはその「支援者」として正式に認定されています。また、2024年には海運業の飯野海運株式会社、住宅設備・建材の通販を手がける株式会社ミラタップともJ-クレジットの売買契約を締結しました。
クレジット取引がはぐくむ、森林と企業の新しい関係

J-クレジット事業の価値は、単に収入を増やすことだけではありません。企業と森林の間に、これまでにない深い関係性が生まれたのです。
従来の植樹祭のような一過性のイベントではなく、毎年クレジットを通じて森林を支援し、時には一緒に木を植える。そんな企業と森林の継続的な相互関係が、新たな価値を生み出していくのです。
大輔さん「カーボンクレジットを買ってもらった企業の方々が、自社オフィスの内装や家具、ノベルティ用途として田島の木材も買ってくれるようになったんです。木材を買う時になんで田島なのかって理由がはっきりしているじゃないですか。普通は木材って産地や森など関係なく、どれも同じように並んでいるけれど、どこの木材かまで理解してもらえる関係になったんです。
毎年カーボンクレジットを買ってもらえるから、縁を深めながら関係が続いていく。今は、カーボンクレジットを買ってもらっているというより、その森を一緒に育てる仲間になってもらっている感覚です」
また、林業会社が行うJ-クレジット事業は、決して平坦な道ではありません。制度の理解、申請手続き、モニタリング、企業への営業。すべてが新しい挑戦でした。
大輔さん「J-クレジットについて他の林業者にいろんな説明をするんですが、『複雑でできない』とか『やったら本当に売れるのか』という反応が圧倒的に多く、そういう意味では僕らの存在は異端なんだと思います」
それでも田島山業が挑戦を続けるのは、林業の未来を変える可能性を秘めているからです。森林のデータ管理、GIS(地理情報システム)やドローンなどの技術活用、企業とのコミュニケーション。すべてが、これからの林業に必要なスキルではないでしょうか。
広がる可能性と、次世代へのバトン。新時代の林業の幕開けに

現在、田島山業を訪れる人々は多様化しています。東京大学の研究者、企業の役員、海外からの視察。さまざまな人々が、これからの時代の森づくりがどうあるべきかを一緒に考えるために森林に集まってきています。
また、田島山業は他の山主からも森林管理を預かり始めています。J-クレジット事業のノウハウを活かし、周辺地域の森林保全にも貢献しようとしているのです。一社だけでなく、地域全体の森林を守る仕組みづくりへと展開を図っているのです。
信太郎さん「今年植えた木が50年後まで育つなら、会社を50年続けることが前提条件。50年後には僕はいないかもしれないけれど、大輔くんも、その次の世代も頑張っていると思うし、この事業は「絶対続く」と思わないと木を植えられません」
世代を超えて森林を守り、育て続ける。ひとの寿命を超えた時間軸こそが、田島山業の経営の基盤となっています。
信太郎さん「林業は、一次産業の一番後ろにいたのかもしれないけれど、一周飛び越して、もしかしたら先頭産業になったのかもしれないです。そして最先端産業になった時には誰もいなくなっていて、僕たちがトップランナーになってしまった」
J-クレジット制度は、森林の見えない価値を可視化し、経済的な対価に変換する仕組みです。それを実現したのは制度そのものではなく、田島山業の人々の努力でした。制度を理解し、企業に営業し、森林の価値を丁寧に説明し続けたからこそ、今があります。
雨上がりの斜面で枝を払うこと、伐ったら必ず植えること、崩れやすい場所を丁寧に手入れすること。その営みが、数字になって返ってくる時代に。
「森林を守ること」が「経済的価値」になった日。それは薄暗かった森林に日がさしたような瞬間でした。光が差し込み、若木が育ち始め、森林が息を吹き返す。田島山業の挑戦は、日本の林業に新しい光を当てようとしています。
Text:アサイアサミ(ココホレジャパン)
Photograph:亀山ののこ

取締役と共に森の価値を最大限引き出し、届ける“森の関係デザイナー”募集
田島山業では新たな仲間を募集中です!
人と人、企業と企業の間に立ちながら、これからの森との関係をデザインしていくお仕事です。 木材生産だけでなく、森の価値をどのように増やしていくか、森づくり全体の設計とその実現を取締役の右腕として共に推進する「片腕」募集。鎌倉時代より森を愛し、森を守る挑戦を続けてきた田島家と並走・伴走する仕事です。
個人の考えを持ちつつも、意見の異なる他者と共に、新たなチャンスが来た時には同じ方向を目指して全員が一丸となる。オーナーシップ(当事者意識)とチームワークの両方が必要となります。100年先にこの森を共に残す、次世代の森づくりに関心がある方のご応募、お待ちしています。
Work for good








