木のまちづくりから未来のヒントを見つけるマガジン キノマチウェブ

2020.11.27
「多くの若い意欲的な皆さんの、仕事と暮らしを楽しみながらの取り組みに感動」キノマチ大会議 〜特別寄稿 京都大学 田中克さん

オンラインカンファレンス「キノマチ大会議」は、おかげさまで大好評のうちに幕を閉じました。「木のまち」をつくる全国の仲間とオンラインでつながることができたのは、キノマチプロジェクトとしても大事な出来事となりました。

トークセッションを聞いた参加者から「キノマチ大会議」に参加したことで得られたことをレポートしていただきました。カンファレンスの印象に残った言葉から自分ごととキノマチを照らし合わせて起きた化学反応は、きっと未来を変えていくちからになって行くはずです。

多くの若い意欲的な皆さんの、仕事と暮らしを楽しみながらの取り組みに感動

キノマチ大会議 全体の感想 京都大学名誉教授 田中克さん

私のようなシニア年代のものが関わる、日ごろの各地での取り組みの主要な参加者はどうしてもシニア層が中心になり、常にこれで継承発展の力になるのかと考えながら、シニア層との間の、“多忙すぎる”一世代を飛ばして、孫の層の組み合わせに活路を見出してきましたが。今回の主役は“多忙すぎる”世代がそのような生き方そのものの見直しに根ざした自然な流れが深層では勢いを増していることを実感でき、大変元気付けられました。それは、問題提起する側の年齢層が受ける側の年齢層にももろに反映しているようにも感じました。同時に根底には時代を重ねて(年齢を重ねて)培ってきた確かなものへの畏敬の念(尊敬の念)があるからだとも感じ、いずれはシニア層主体の取り組みともつながる必然性も感じました。

「キノマチ」と伝統回帰

 キノマチの根底には、人々が長い時間をかけて培い継承されてきた匠の技・業への畏敬の念が根ざしていることを知り、うれしくなりました。それは東北の三陸沿岸における東日本大震災後に発揮された「後方支援」の文化にも合い通じるものを感じました。三陸沿岸ではずっと以前から繰り返される地震と津波の被害が発生すると、流域の上流に住む皆さんは、すぐさま“出動”されます。それらの支援をする町には常設的にいくつもの「○○隊」(その責任者)が置かれ、震災が起きれば即出動され、様々な支援がなされます。中でも気仙大工の技は非常に有効で、即座に、ガレキの解体、家の修復や仮設の住宅を造ります。それは、長い年月をかけて内陸の野菜・穀物・材木を海の町に、海の町からは様々な魚介類・海藻類が山の町に送られ続けてきたつながりのなせる業だといえます。地域が運命共同体的にともに生きてきた知恵や技、それを維持継承してきた人の存在は「文化資本」(池上惇、2017)と呼ばれています。

「里に生きる思想」など多くの本を出されている哲学者の内山節さん(東京暮らしと群馬県上野村暮らしを50年にわたり続ける)が、5〜6年前から唱えられている「伝統回帰」の思想と「キノマチ」の取り組みが重なりました。それは自然(とりわけ森)とともに生きる道を求めて、今一度明治以前の自然とともに生きる知恵や業を見直し、自然循環に役立つ新たなテクノロジーもうまく生かした社会への転換を伝統回帰として表現しておられるように思います。

それは死者と生者が共存し、何かを決める時には死者の意見や野生の生き物の意見も聞いて見ようとの世界が維持されています。池上さんの文化資本の大事さの問題提起と内山さんと伝統回帰が「キノマチ」プロジェクトに重なりながら、皆さんの話をお聞きしました。

 森ありようと災害の話が随時出ていましたが、いまやこれまでの水害などを力で抑え込もうとするやり方には、これほどまでに災害が頻発・巨大化する時代には、これまでの力で抑え込むやり方では技術的にも財政的に不可能です。明治以前の防災の考え方としての水をいなす方向へと大きく舵を切る必要性が、土木学会で議論され、多様な遊水地機能を可能な限り広げ、上流と下流で協力・連携(どうしても上流で水を分散させることにともなう被害を下流が支える仕組みづくりも含めて)を進めるという基本的な方向が出されています。これも一種の「伝統回帰」だとみなせます。

「キノマチ」は森と海のあいだ

キノマチの空間軸は上流と下流の関係ですが、「上流のさらに上流は何なのか? 下流のさらに下流は何なのか?」への展開(思い)が見られなかったように感じました(初日は参加できませんでしたので、問題提起があったのなら、的外れの所見になりますが)。上流と下流というのはあくまでも「あいだ」であり、森と海が循環的につながる“部分”であり、時空を超えて循環する視点が今後のさらに全方向的な展開には必要ではないでしょうか。木が生え森が育まれるのは海からもたらせる水蒸気(雲・雪)であり、海がなければ森はないと言えます。根源的な存在への思いの深化が必要ではないかと感じました。もっとも、この見解は海から森に“迷い込んだ”一研究者(元研究者)が“迷想”する統合学「森里海連環学」による、典型的な我田引水的見解でも有りそうですね(笑)。

「うるおい、豊かさ、いのち喜ぶの源は?」:「キノマチ」と水との関係への深化

木の持つ、森が持つ“物”を越えた存在は、いのちの存在を身近に感じられることであり、それがキノマチの根源ではないでしょうか。最終日に小野さんによって話題として出されたハイパーソニック・サウンド(その人体への効果としてのハイパーソニック・エフェクト)の音源は生き物(昆虫類など)や小川のせせらぎや木々のささやき(葉や枝がふれあう多様な音環境)など多様な“いのち”の存在とそれを支える水が普遍的な源だと思われます。木や森からいのちへの深化、とりわけ「キノマチ」と水の関係への深化、そして、水は全てのいのちに必須の物質であり、人も木々も動物も全てのいのちは海に起源することをも想起させるような深化が大事ではないでしょうか。

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