北欧の国・フィンランドは世界一の森林率を誇る森と湖の国。日本もスウェーデンに続き、世界3番目の森林大国ですが、フィンランドと日本の「キノマチ度」は大きく違いがあります。
森林そのものが社会課題になっている日本と比べ、フィンランドは木材・林業が国の主要産業であり、私有地の木であっても樹齢70年以下は伐採を禁じるなど森林の生態系を守るための厳しい法整備がなされています。また国民は「自然享受権」という、自然の恵みを誰もが楽しむ権利が認められています。
フィンランドの人が生きるうえで欠かせない「森林」「木」をめぐる林業・木材産業、そして木造・木質建築について、現地からの目線で語っていただき、日本で実現したい「キノマチ」のヒントを見つけたいと思います。
坂口大史(Daishi Sakaguchi)
1985年名古屋市生まれ。日本福祉大学健康科学部福祉工学科助教。木質・木造建築設計計画を中心に、フィンランドの先進的な中高層木造建築、内装木質化による創造性や心理・生理的効果等についても研究。近年注目されるサーキュラーエコノミーや木材のカスケード利用なども含めた環境建築的な取り組みや将来的に森と都市の連関による持続可能な社会を構築するため、グローカルな教育・研究・設計活動に奮闘中。
木造建築を促すエディケーションとは
日本でもSDGsやESG投資などが盛んに議論されるようになり、木造建築の担う役割や都市での木材利用の重要性も再認識されはじめています。
特に日本が誇る、世界でも有数の森林率や日本全国に豊富に存在する森林資源を考えると、持続可能な木材利用を促進していく重要性は更に高まっています。
日本と同じく森林大国であるフィンランドでは、約20年に渡って地道に木造建築に関する法律を整備しながら、様々な用途で木造建築を実現してきました。その根幹を支えているのが、アアルト大学(旧ヘルシンキ工科大学)にある「ウッドプログラム」です。
今回は木造建築にまつわる先駆的人材育成プラットフォームである「ウッドプログラム」を紹介すると共に、日本における木造建築の将来的な普及についても考えるきっかけを提供できればと思います。
「ウッドプログラム」の歴史
2003年より正式に開講した「ウッドプログラム」は、木材利用と木造建築に焦点をあてた留学生向けの1年間の有料プログラムです。
「ウッドプログラム」創立の経緯は、アアルト大学の建築学科、木材学科、構造学科を横断する形での木構造教育の実現を目的として、学際的な木構造研究科が設立されました。この協力関係をきっかけとして、木構造の分野を包括的に扱うトレーニング・プログラムの準備が始められました。
試験的な段階を経た後、1999年から開始されたのが今の「ウッドプログラム」の前身となる「木造建築プログラム」です。世界各国から毎年20名程度の学生が集まり、その年ごとに木造建築に関するテーマを設定して、プログラムの最後には必ず1:1スケールで建築をつくるというのが「ウッドプログラム」最大の特徴です。
「ウッドプログラム」のカリキュラムと取り組み
「ウッドプログラム」に参加する条件として、建築学専攻か、それに関連する工学、造園学もしくはインテリアデザイン学の学位を取得していること(在学中含む)が基本的な条件となります。
また、学生だけでなく、社会人にも門戸は開かれており、建築分野で3年以上の在学経験があり、かつ実務経験のある人も参加可能です。
上でも述べた通り、「ウッドプログラム」の最大の特徴は、1:1スケールで建築をつくることにありますが、1年という限られた時間の中、カリキュラム内容は木材そのものに関する講義から木材の建築への応用など多岐に渡ります。主な講義及び演習の分野としては以下になります。
• 生態系の維持や環境保全を含む森林及び木材利用
• 木材と木質材料の物性的特性
• 木材の建築設計及びインテリアデザイン利用
• 木造建築の伝統的な構工法及び産業化手法
• 現代の都市における木材利用と森林活用のあり方
• 木造建築の将来的な課題と可能性
など
上記のテーマに関連する科目を10科目程度履修した後、実践として1:1スケールの設計・施工がはじまります。テーマは、小規模の小屋、サウナ、バス停、住宅、パビリオン、展望台等、扱うスケールは多岐に渡ります。
各年のテーマに合わせて学生間でコンペを開催し、コンペで勝利した案をベースに設計を行なっていきます。コンペの審査段階で、意匠、構造、設備、施工等の多角的な観点から審査が入念に行われるため、実現を目指す案は、常に木造建築の新たな可能性を示唆する作品に仕上がっています。また、制作を行う上で多種多様な加工機械も完備されており、充実した環境の中で作品制作に没頭することが可能です。
つまり「ウッドプログラム」の構成として、まず実践を支える知識や理論の習得し、それをすぐに試すことができる体系的かつ統合的な演習が、木造建築にまつわるスペシャリスト養成プログラムの根幹を成していると言えます。
さらに、「ウッドプログラム」で学んだ学生が、自国に帰ってからも木造建築の第一線で活躍しているケースも多いことから、「ウッドプログラム」がまさに「国際的な木造建築人育成プラットフォーム」としても機能しているなによりの証です。
「ウッドプログラム」の将来展開
長きに渡って木造建築教育のトップを走ってきた「ウッドプログラム」の将来展開について、「ウッドプログラム」の担当教授であるペッカ・ヘイッキネン教授にお話を聞きました。
ペッカ・ヘイッキネン教授 現在、デジタルファブリケーションなどデジタルな手法との融合が盛んに行われていますが、「ウッドプログラム」で初めてこれらの手法を取り入れたのが2004年です。
「ウッドプログラム」での教育においては、特定のテクノロジーに特化した指導をしておりません。それは、それぞれのブロジェクトごとに最適な方法を用いる方針だからです。唯一決まっていることは、伝統的な手法にとらわれないということです。この方針は今後の「ウッドプログラム」でも変わることはありません。
アアルト大学には、Aalto Fablabと呼ばれるデジタルファブリケーションの拠点となる施設があり、学生だけでなく、一般利用者にも広く開かれています。木材の加工性の高さから、CNCマシーンや3Dプリンターとの連動により、木造建築の可能性は更に高まっていくと思われます。
「ウッドプログラム」に関する最新の動きとして、1年間の有料コースとして運用してきたプログラムをアアルト大学の建築学科を構成する主コースのひとつとなる「木造建築学科」として正式運用する準備を進めています。この構想が実現すれば、フィンランドにおける木造教育は更に強化されるだけでなく、フィンランドが先頭を切って進めるサーキュラーエコノミーの推進に貢献する教育分野での取り組みにもなっていくと考えられます。
今でこそ、フィンランドの各建築雑誌や学会などでは木造建築について盛んに議論されるようになりました。
元々の木造建築普及の流れとしては、豊富な森林資源をバックボーンにそれらを産業の軸にしている中央ヨーロッパの国々や北欧諸国などが、政治的な戦略の一貫として、木材利用や木造建築を推進してきたことがきっかけです。
特にフィンランドでは、環境省が中心となって木造建築を推進している点に見られるように、国民全体の環境意識の高さにも後押しされて、木造建築が復権して一定の地位を獲得するようになってきました。
ただ、ひとついえることは、政府が補助金を出して、政策やプログラムを整備したから木造建築が広まったのではなく、政府が力を入れはじめるころと時を同じくして、「ウッドプログラム」のような人材を供給する教育プログラムも整備され、数十年取り組んできた成果として現在があります。
これは、裏を返せば「特効薬的な方法」はなく、森林に生える一本の木が年月をかけて育っていくように、一定時間をかけて積み重ねていく必要性を浮き彫りにしています。
日本での木造建築の普及を考えると、木材利用や木造建築教育の草分け的存在ともいえる「岐阜県立森林文化アカデミー」、建築家隈研吾氏が校長を務める「高知県立林業大学校」、真庭市と岡山大学による「林業・木材・木造建築教育・研究ゾーン」など、木材や木造建築にまつわる教育プログラムが整理されつつあります。
一方で、林業の現状やサプライチェーンの再構築など、森林と都市の結びつきはまだまだ弱いといわざるを得ません。フィンランドの例にもあるように、木造建築の普及ひいては森林の有効活用や環境保全への一番の近道は、地道ですが、木に触れる機会を増やすことで木を身近に感じられるようにして、木造建築に関わる持続可能な人材供給を行なっていくことしかありません。
それに向けて木材と建築にまつわる産業、教育、政府、市民がいかに連携して取り組んでいけるかで、日本における木造建築の未来が明るくも暗くもなると感じています。
参考文献:Aalto University, wood program < http://woodprogram.fi>
『a+u』, 新建築社 , 2006.08
渡辺一生:ウッド・プログラムの教育事例を通じた 教育手法についての考察,名古屋造形大学紀要 (25),
43-57, 2019
企画・編集:坂口大史(日本福祉大学)、山口一紀(Studio Moopy)、小林道和(竹中工務店)