木のまちづくりから未来のヒントを見つけるマガジン キノマチウェブ

2021.03.11
雇われ編集長の「生涯学習」⑥ 地元、木場と新木場のあいだから思いを馳せる

こんにちは。いつもキノマチウェブをご愛読頂き、誠にありがとうございます。

まだまだ風が冷たいですね。でも春分の日ももうすぐそこ、日中時間もどんどん延びて春の訪れを実感できるようになってきました。

さて前回のコラムでは、遠く大分県日田市の森林の話をさせていただいたので、今回は僕の地元の話題で足元を見つめ直してみたいと思います。

僕の勤務地は東京都江東区。最寄り駅は東京メトロ東西線の東陽町駅です。ここは、木材流通拠点の「木場」に西方を「新木場」に南方を囲まれたまちです。

それにしても「木の場」とはいい地名の響きですね。木場は江戸時代以降の木材取引場や材木屋の集積地域だったところであり、キノマチウェブでも何度か登場している中高層木造建築の「フラッツ ウッズ 木場」もそこにあります。

ではもう一方の「新木場」とは?

そうなんです、木にちなんだ地名で勤務地に近いにも関わらず、その問いに対しては少し、言葉が詰まってしまいます。

新木場は、江戸からの木場の役割がなんらかの理由で移ったところだろうというくらいは容易に想像できますが、江戸と東京を橋渡しする、伝統ある基幹産業の拠点の移転などそうたやすく実践できるはずはありません。

では木場はなぜ新木場に移ることになったのか?またどの位の期間がかかったのか?その謎解きとなる「東京木材市場90年史(1919-2009)」での記述は以下です。

日本国中が高度経済成長に沸いた昭和30年代、急速な発展を続けていた木場地区は、一方で地盤沈下による筏曳航の困難、海上・陸上の交通混雑、工場の騒音・粉塵・運河の汚濁による悪臭などの公害発生など、企業と人口の密集にともなって起きるさまざまな問題が浮かび始めていた。しかしながら、このような環境悪化を回避し、企業の近代化・合理化を断行しようとしても必要十分な土地が得られず、このままでは今後の発展もおぼつかないような状況に陥っていた。

(なるほど、僕が生まれた頃、そんな状況だったんだな)

 ~中略~

昭和34年9月26日(土)台風15号が潮岬に上陸。この伊勢湾台風で名古屋港湾内の貯木場が真正面から高潮の襲撃を受け、流れ出した大量の丸太が名古屋市街地の流入し、多数の死傷者を生むという大惨事になった。

この大惨事を教訓に、東京都も木材業界の要請を受けいれて、昭和36年から抜本的な港湾整備計画に乗り出し、昭和37年、東京湾14号埋立地、すなわち新木場を木材団地とし造成することを決定。41年の港湾計画2次改定で、14号埋立地の木材関連用地計画が確定した。さらに44年11月には都市改造会議で江東地区に防災拠点を建設することを決定。木場移転を含む同地区の再開発計画が動き出したのである。

こんな歴史です。

大転換は長年の社会課題に加えて、外的要因が引き金となって動き出す、ということの証といえます。なるほど、100年後の今、まさに大転換期の現在にも当てはまるような文脈です。

この「東京木材市場90年史」によると

原木・製材業者、製品問屋、銘木業者、加工業者、市場などの移転は、昭和49年3月から始まり、昭和51年9月末までに完了し、世界有数の木材加工・流通基地「新木場」が誕生した。

とあります。ということは再開発計画始動から7年、伊勢湾台風から数えると17年。まさに一大プロジェクトです。

そして昭和63(1988)年には、営団地下鉄有楽町線の駅のひとつとして新木場駅が開業し、まさに昭和の30年を経て締めくくられた。

長い歴史を紐解くのに随分と紙面を稼いでしまいました。歴史の話はここまでにして新木場駅周辺の今はどうなのでしょうか?

新木場駅の木製銘板
新木場駅の木製銘板

「新木場駅」は、1988年に新しくできただけあって駅前はゆったりできています。

駅には無垢の木を使った「駅名銘鈑」、駅前ロータリーには「木のまち新木場」の縦看板。駅の南側には大きな交差点があり、その周辺にはいくつかの木のスポットがあります。

トーテムポールと並ぶ縦看板
トーテムポールと並ぶ縦看板

まず、交差点から西にいくと建築界ではつとに有名な建物ファサードを木造格子で象徴的にデザインした木材会館のビルがあります。

木材会館のビル
木材会館のビル

外部現しの木質素材が時を経て自然の風合いをいい感じで醸しています。次には交差点の角に「WOOD SHOP もくもく」の緑色の看板が目に飛び込んできます。

そうなんです、キノマチウェブのDIYに関する連載企画で、つみき設計施工社の河野直さんから「そこに行けば、ほとんど木工に関わる疑問が解け、また必要な材種の木材を小ロットから販売してくれる」と紹介された店です。

WOODSHOPもくもく
WOOD SHOP もくもく

さらに散策しているとその傍で思いがけないものを見つけました。「銘木団地」という立札と「銘木団地協同組合」の看板。よく見てみると「WOOD SHOP もくもく」も銘木団地の一角であることを示しています。これは発見だ。

銘木団地とその協同組合構成
銘木団地とその協同組合構成

さて、銘木団地協同組合の看板の構成員を見ていて感じたのは、僕のような個人の一元者が具体的な用件や材料も持たずにこの中に入っていくには少々、勇気がいるな、ということです。

まさにプロのエリア。「普段、見かけない、目的なさそうにうろうろしているそこのおっさん、用がないなら、仕事のじゃま!」とそんな威勢のよい声が聞こえてきそうです。

気っ風のいい下町商売ってそんなイメージがあります。そんなことを考えて歩いていると個人客を対象としているらしき店を見つけました。ロフト風のショップ「CASICA」です。外観は木質感に満ちています。その中に入って天井が高い店内の空気を吸ったときにようやく新木場で木のイメージに触れたような感覚が芽生えました。

個人客を向かい入れるショップ「CASICA」
個人客を迎え入れるショップ「CASICA」

ショップの人に聞くところによると2017年11月開業。店内には青森のヒバのチップを香料としてつめた麻袋や大木をくり抜いて出来た腰掛けなど、木の素材を生かした数々の商品が並んでいました。

ビンテージ感が満載の家具の貸し出しも1日から数週間まで柔軟に対応してくれるようです。また中で木製家具に座ってコーヒーや甘味を摂ることもできる。これも発見でした。行動すれば発見がある、新たな発信ネタが見つかる!まさにそれですよね。

新木場の西口周辺の現実。
そして、新木場の西口周辺の現実。

今回は地元の「新木場駅」周辺を歩いてみての話でした。

駅前では先ほどの「駅名銘鈑」、「木製縦看板」や「木材会館」、「もくもく」は視界に入ってきます。

でも正直、ここに来た人が「ここが材木拠点の新木場か!」といった印象を持つか、と問われると残念ながら、自信ありません。ちょっと横を向くと鉄とコンクリ―トの現実があることも影響しています。

これは「キノマチ」の実現を目指す僕たちの活動にも連なる重要課題。長年、産業優先で人工物に覆われて発展してきた都市や街がどうなったら「キノマチ」といえるようになるのか、どうしたらそんな「キノマチ」を形成することができるのか。かなりのエネルギーと時間がかかりそうです。

もちろん、都市と地方では課題と進捗スピードは異なるでしょう、でもそのためには木造建築施設や木質製品が単体情報でピタっと止まってしまうのではなく、各スポットが相互に関係することで認知度を高め、さらには関係性が連鎖して広がりを持つように記憶されるような工夫が必要なんです。

高度情報化社会にあっては木造木質関連の特徴的なハード資源にVR、ARなどのバーチャル技術やSNSなどの情報ネットワークを最大限に活用する必要性も強く感じています。

おっと、足元を見つめるつもりがいつの間にか離れて風呂敷を広げてしまいました。ということで最後に再び、周辺から一歩一歩固めていこうと肝に銘じた訪問記でした。

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(語り手)キノマチウェブ編集長
樫村俊也 Toshiya Kashimura 
東京都出身。一級建築士。技術士(建設部門、総合技術監理部門)。1983年竹中工務店入社。1984年より東京本店設計部にて50件以上の建築プロジェクト及び技術開発に関与。2014年設計本部設計企画部長、2015年広報部長、2019年経営企画室専門役、2020年木造・木質建築推進本部専門役を兼務。

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