木のまちづくりから未来のヒントを見つけるマガジン キノマチウェブ

島根県のほぼ中心にある大田市温泉津(ゆのつ)町。石見銀山の一角、銀山の鉱夫を癒やしてきた古湯・温泉津温泉や、森林破壊をせず銀山開発したことが認められて世界遺産に登録された山々を有し、海にも面した小さなまちです。

地域資源豊かな温泉津に、小林新也(こばやし・しんや)さんが『合同会社里山インストール』(以下里山インストール)を2021年12月に設立しました。

小林さんといえば、地域資源を活かしたデザインに取り組む『合同会社シーラカンス食堂』を自身の出身地である兵庫県小野市で立ち上げ、衰退著しい地元の伝統産業「播州そろばん」の復興や、「播州刃物」のあり方からデザインしているプロダクトデザイナーです。

兵庫県小野市に居を構えるシーラカンス食堂。
江戸時代から根付く地域の産業、播州刃物。

地域の可能性を信じ、伝統工芸を「良いもの」として純粋に受け取ってくれる市場獲得を世界中で目指し、地域とものづくりの間に山積する矛盾と向き合い続ける小林さんの新たなフィールドは「山」。里山インストールは、里山から生まれるものづくりを目指し、温泉津の地域資源である里山再生を事業化する会社とのこと。

詳しく事業内容を尋ねると「山を自腹で買って自伐林業」「温泉津温泉街でサウナ経営」「針葉樹を広葉樹のように燃焼できる薪ストーブの取り扱い」など、川上から川下までを自由に行き来しています。

林業や森林経営を取り巻く状況が芳しくない今、なぜ小林さんが山に携わることになったのか。その理由には、キノマチ実現を強く後押しするエピソードに溢れています。

消えてなくなりそうな産業と求められる産業の、あり方のギャップ

当時を振り返る小林さん。

林業どころか一次産業のフィジカルがまったくなかった小林さんが山を買った理由は、本業であるものづくりのためだといいます。

「そもそも鍛冶とは、百姓の仕事で農閑期に暮らしで使う金物道具をつくる手仕事でした。そこから得意な人が注文を受けてつくるようになったのが『野鍛冶』です。江戸時代に専業化して、職人が集まって地域産業化したのが兵庫県小野市など僕の地元です。

そんな地元の刃物業界をなんとかして後継者をつくりたいと『シーラカンス食堂』で活動してきましたが、現代社会においてなくなりつつある業界です。

その一方で、国内外のニーズはあるんです。日本の鍛冶はものづくりの文脈をきちんと伝えれば世界に評価されるものづくりです。たとえば、海外の方に播州刃物ができる過程を伝えて「いくらで売っていると思う?」と聞くと「数十万円」と答えます。「実はこれ、数千円で買えるよ」と教えると「信じられない!」と驚かれます。

このギャップを埋めるというか、ものづくりが海外に評価される部分は、昔ながらの丁寧なものづくりで、ものづくりが原点回帰する部分に僕自身が投資できるんじゃないかなって思い始めました」

それと同時に、小林さんは海外に行けば行くほど「メイドインジャパン」に対する違和感を感じるようになります。

「他の刃物産地の話ですが、完成した刃物をトントンって金槌で数回打っただけで「手打ち」って表記してメイドインジャパンと銘打って世界で売っちゃってるんです。

いま日本中の多くの産地が、ものづくりとして一番大事なことをやっていない。違う地域、なんなら違う国でもつくれるものづくりをしてしまっている。

日本のものづくりは、ストーリーがあるから価値があるのに、そんな安易なものづくりでは、先行きがないと感じています」

日本各地の「すごいものづくり」ができるひとは、産地ごとに1人や2人、ギリギリ職人が残っていると小林さんはいいます。彼らの伝統を残し、「本物」のメイドインジャパンを引き継がないといけない、そんなスイッチが入ります。

未来につながる、ものづくりへの投資。その価値を担保する、材料・資材・燃料に目を向けるのです。

「特に鍛冶屋は火をたくさん使います。現在は、火を起こすとき、ほとんどの場合重油やコークスを使っています。身の回りで気軽に手に入るエネルギーは油か石炭しかないんです。さらに燃料屋さんから買って使っているわけですが、そうやって手に入れたものってどこ由来のものかわからないですし、地元のものでは絶対ないわけです。

鍛冶では、燃料に木を、資材も泥や籾殻など全部田んぼにあるやつを使います。そう考えた時、日本中、周りを見渡したら目の前にめちゃくちゃ山と田んぼがあるのにものづくりと繋がっていない。昔は全部繋がっていたものです。効率化重視になって、産業が分断され、各々になっていってしまったんだろうなと」

従来のものづくりを踏襲すればするほど、そこから生み出されたモノへの評価が高まることを知っていた小林さんは、地域資源と分断されてしまったものづくりをもう一度つなぎなおすことを検討するのです。

ピュアなものづくりが息づく希少な土地へ

海も山もすぐそばにある温泉津。

小林さんは、学生時代から昔ながらのものづくりが産業として残る島根県浜田市に注目。石州和紙の工房をはじめ、組子細工の『吉原木工所』や、石州瓦(本来待瓦)の『亀谷窯業』など。これらのものづくりで共通してるのは原料がすべて地元のものだということ。

「石州和紙は、まわりの農家が衰退してるので和紙の主な原料である「楮(こうぞ)」というクワ科の植物から自分たちで育てています。若いつくり手も育ってるし、2代、3代で仕事してるんで、伝統が継がれています。

焼き物もそうで石州嶋田窯ってところや、この辺りのほとんどの窯業所は、土は地元のものを自らで陶芸用の土に濾して使っています。すごいなと思ったのは、材料として、近所の山をひとつ押さえる、みたいな買い方をしていて、1トン1,000円くらいなんです。工場に行ったらそこに粘土の山があるんですよ。ボーン!って。

自給しているってことなんですよね。モノと地域の繋がりを生んでいるし、原価を抑えられるので利益率が上がるし、経済的にも成り立つので、若いひとが継ぎたいって思えるんです」

海外で評価されるメイドインジャパンの価値が守られてものづくりをしている島根。そして、小林さんにとって大きかったのはこの周辺で鍛冶になくてはならない「製鉄」が行われている痕跡を見つけたことだといいます。

「2018年からシーラカンス食堂で鍛冶屋工場を始めたんですけど、島根のこのあたり、砂浜に砂鉄が堆積しているし、たたら村の集落跡は残っていて、1軒だけ家も残っていました。ここで、鍛冶をするひとの営みを見つけたんです。

僕、めちゃくちゃテンション上がって「こういうところで、自給率の高いものづくりができたらいいよね」って。そこから、鍛冶屋をやるなら島根だなって、場所を探し始めました」

自給率の高い鍛冶屋をやるために、山を買う

「温泉津で鍛冶屋をやりたい」。

島根に在る本物のものづくりをする人々との交流や、古民家を改装した一軒家「HÏSOM(ヒソム)」プロジェクト立ちあげの手伝いなど、温泉津との関係性が出来はじめてきた2020年、転機が訪れます。

「温泉津に山を買うことになった1番のきっかけになったのはやはりコロナウイルスによるパンデミックでした。

2020年の2月、年間でいちばん力を入れてる展示会が、ドイツ・フランクフルトで開催される国際消費財見本市「アンビエンテ」で、その開催中に、本格的なパンデミックが起こりました。

僕は、その足で北欧へ営業しにいって、日本に帰ってきました。展示会のあとは、通常オーダーが入ってくるんですが、ロックダウンがはじまって、海外から全く連絡が取れなくなりました。これはほんまにやばい、ぞっとしました。

そして、単純に時間ができたんですね。やることねえな、って。そして、ふわっと、島根で思い描いてた、鍛冶屋をここではじめて、ものづくりの自給率をあげることを目指すなら今やなって。そう思って、すぐ温泉津に来たんです。

当時、観光地である温泉津温泉街のお宿もキャンセルが出まくっていて『HÏSOM』になんぼ泊まってもいいよって言ってもらえて、1ヶ月くらい特別価格で滞在させてもらいました。本当にお世話になりました。

そこを拠点に、鍛冶屋をやれる場所を探していたら、どんどん山へ意識がいくようになりました」

山に入ると主伐期を迎えた立派な針葉樹が。

山で火を起こすための木材を調達できたら、ものづくりに必要なエネルギーの自給が目指せる。山で砂鉄など資材も調達したいし、資材のために農業を営むことを考えると、海のそばより、山のほうを目指すことにした小林さん。そして、山へ行くと、課題がどんどん見えてきて俄然興味が湧いたといいます。

「場所探しのとき、茅葺き屋根の家を見つけられたら、そこは里山暮らしが絶対あった場所だと思い、目印としてグーグルマップにピンを指していきました。けれど、そのほとんどが山奥過ぎて素人には手が出せない土地ばかりでした」

現在の里山インストールの木材所。里山の裾野にある平らな土地。

緊急事態宣言が発令された、2020年の4月頃から鍛冶屋ができる場所を1ヶ月半ぐらい探します。ものづくりができる里山というハードルの高い土地が、財産放棄されると小耳に挟んだのは、ゴールデンウィーク直前でした。

「ご本人に、『僕、ここを買うから、放棄しないで』ってお願いしに行きました。

山も農地もあって、ただ、やっぱ農地は法的にすぐ買えなくて、そこから、正式に買うまでは実績作りが必要で。畑でそばを作ったりしたんですよ。トラクターとかも兵庫でもらって持ってきて。本気で農業をやりますという姿勢を見せて、農業委員会の許可をもらったりしました。

結果、このときから半年後くらいに購入できました。最初は「ハードル高そうやな」って思っていましたが、案外早くイケたなって(笑)」

いよいよ山と土地を手に入れた小林さん。価値あるものづくりを行う場づくりをはじめます。しかし、温泉津に鍛冶屋をつくるつもりが「サウナ」を経営することになるなど、山との関わりは思わぬ方向へ小林さんを連れていくのです。

text:アサイアサミ photo:ココホレジャパン

(中編につづく)

 

キノマチSNSの
フォローはこちら
  • キノマチフェイスブックページ
  • キノマチツイッターページ
  • instagram
メールマガジン
第1・第3木曜日、キノマチ情報をお届けします

    上のフォームにメールアドレスを入力し、「登録」ボタンをクリックすると登録完了します。
    メールマガジンに関するプライバシーポリシーはこちら
    JAPAN WOOD DESIGN AWARD