水戸市の中心市街地に「水戸市民会館」がオープンして1年が経ちました。JR水戸駅から1.5キロほど行き、国道をはさんで京成百貨店の向かい側にあります。水戸のまちのシンボルタワーを有する水戸芸術館とも隣接し、文化の発信地にできたランドマークです。
全面ガラス張りの外観は周囲との調和を取りつつ、木架構が重厚感を醸し出します。そして中に入ると大断面の耐火木集成材で組んだやぐら組みの構造体が目をひきます。
設計を手掛けたのは、伊東豊雄建築設計事務所・横須賀満夫建築設計事務所 共同企業体。施工は竹中・株木・鈴木良・葵・関根 特定建設工事共同企業体。世界中に意義ある木造建築を建ててきた伊東豊雄さんの、日本における大規模木造建築の最新作です。
水戸市民会館を深く掘り下げる今連載にあたり、プロローグとして、「伊東豊雄さんにとって木造とは、木とは」を伺います。
伊東豊雄 Toyo Ito
建築家。1941年京城市(現・ソウル市)生まれ。主な作品に「せんだいメディアテーク」「みんなの森 ぎふメディアコスモス」「台中国家歌劇院」など。日本建築学会賞、ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞、王立英国建築家協会ロイヤルゴールドメダル、朝日賞、プリツカー建築賞、UIAゴールドメダルなど数多の建築賞を受賞。
木造建築を一歩進めた「水戸市民会館」
旧水戸市民会館は、2011年東日本大震災で被災し、現在の場所に移転という形で建て替えられました。
新たな市民会館のプロポーザル公募の際に水戸市からの要望は「まちやひとが元気づけられるような建物にしてほしい」ということ。
構造や素材に対するリクエストがない中で、伊東豊雄建築設計事務所が水戸市の思いにふさわしいと選んだのは、木造架構を建物に取り入れることでした。
木という建築素材について期待するポイントを伊東豊雄さんはこう述べます。
伊東さん「日本人には木に対するノスタルジーが強く残っています。それだけで、建物に木を使う優位性はありますし、住宅以外の都市建築にもっと木造を導入することで人にも環境にも良い影響を与えます。
いま木造建築の可能性が広がっています。これから大規模な木造建築が次々に登場するのではないでしょうか」
水戸市民会館のプロポーザルが行われたのは2016年。ちょうど新国立競技場整備事業プロポーザルの不採択直後だったことも、少なからず影響していたようです。
伊東さん「僕らが新国立競技場のコンペティションに挑戦したとき、木を使うことが応募要項に書かれていて、竹中工務店と組んでスタジアム外周を太い木の柱で支える計画で臨みました。
残念ながら落選となり悔しい思いをしましたが、木の力強さを生かした建物をつくりたいと考えていました。
その直後、水戸市民会館のコンペティションで木造に再挑戦し、大規模な木造建築に取り組むことになりました。新国立競技場のとき、木造の意義を深く考えたことが影響したかもしれません」
大規模建築を木造で形作るには、技術的に「木でどこまで表現できるか」の見極めが難しかったといいます。その中で、構造設計とデザイン設計のチャレンジが「木造建築を一歩進めた建築になった」と伊東さん。
そして、構造体がそのまま現しとしてデザインになる木造で、今回採用されたのがやぐら組みです。やぐら組みにすることでデザイン的にも構造的にも「強さ」をあらわすキーポイントになりました。
伊東さん「やぐら組みにするというアイデアは所内の設計担当者からの提案だったのですが、初めて聞いた時には驚きました。しかし、やぐらを組むことでディテールが楽になり、金物に頼ることが減ったのが良いと思いました」
伊東さんは以前「水戸市民会館で木を使うことでやや硬い建築になった」とメディアでコメントされました。
伊東さん「水戸市民会館は、大規模なスパンで直線材の組み合わせになり、やや「不自由」だった印象があります。
僕らにとって、木造の「硬さ」は課題だと感じています。もっとデザインの自由度を上げたいです。
同時期に設計した、シンガポールの南洋理工大学の「ガイア」では、小さなスパンで大きなカーブを描くことができました。状況に応じて方法を選択することが重要です」
木に備わる力を、建築へ
いつもエポックメイキングな木造建築をつくられている印象の伊東さん。木との接点も気になるところです。木との「つきあい」は幼少期からあったといいます。
伊東さん「僕らの少年時代は周りに木しかなかったんです。家も全部木造でした。杉鉄砲で遊んだりしてね。木は切っても切り離せない生活の一部でしたね。
秋になると近所の山へキノコを採りに父親と山に入ったりしました。僕はソウルで生まれたんですが、その後、父親の郷里にある長野に引っ越しました。そこは大きな木造の民家で蔵が二つあるような大きな家でした」
そんな原体験から建築の世界へ。今まで数々の名作を世に送り出して来た伊東さんが特に印象に残っている大規模な木造関連施設のひとつは、1997年に建てた秋田県の「大館樹海ドーム」(現ニプロハチ公ドーム)とのこと。
伊東さん「秋田に集成材の工場を作って地元の木でドームを作ろうという計画もありましたが、色々あってうまくいかなかったようです。近隣の木材をなるべく使ったことを憶えています。
もう完成して25年以上経ちますが、5年ごとに大館を訪れて経年変化を見に行くんです。完成10年後も木の香りがしていました。
「大館樹海ドーム」は、よく出来たなと今でも思います。整った球形ではなく、卵を横に寝かせて上部を切り取ったようなドーム形状としたため、複雑な構造計画となりました。
「大館」の時も竹中工務店と組んだのですが、非常に精度の高い施工をしてくださいました。足場を組まずに測量しながら6メートルもの素材を繋ぎ合わせてつくりましたから」
そして東日本大震災で被災した人々のコミュニティの場として建てられた「みんなの家」も木を使った建物でした。
伊東さん「「みんなの家」をつくった時、鉄骨プレハブの仮設住宅で過ごしていた方々が、「みんなの家」の木の香りに喜んでくれました。
「仮設住宅は、自分の家に帰ってきたとは思えなかったけれど、「みんなの家」は、共同の家でありながら、木を中心に人が自然と集まってきて、自分の家に帰ってきたような気がする」と言って喜んでくれました。そのとき「木の力はすごい」と思いましたね」
木に備わる力を今を生きる人々へ手渡す。伊東さんの木造建築からはそのような印象を受けます。いま、木や森林の周辺に横たわる社会問題が山積している中、木に価値をつけていく取り組みが重要です。森林の価値を高めるためにどういった活動が必要か、伊東さんに聞いてみました。
伊東さん「僕は、育林の段階から始めることが重要だと感じています。温暖湿潤な日本の森林には育林の段階で手入れが不可欠。木材が良くなければ木造建築もできません。
日本のスギは、育てかたに課題があり、間伐が遅れています。育てかた次第で良くなると思います。そして、国内での需要が増えれば、森林の手入れも進むでしょう。
日本の木材は輸出にも向いていますが、まず国内需要を満たすことが重要です。木造建築が増えれば、需要も増え、林業が活性化すると考えます」
材料が生産される森にまで心を寄せて考える建築=木造だと思わせます。インタビューの最後、伊東さんに今後の「木造」の展望を伺いました。
伊東さん「大規模な木造建築の可能性を探りたいです。環境にも優しく、持続可能な建築を目指しています。
木造建築が増え、環境に優しい建築が広がることを期待しています。技術の進歩により、もっと自由なデザインが可能になるでしょう」
名建築を建ててきた伊東さんであってもいまだ可能性を探る余地があるという「木造建築」。建築に木を使うことの意義と真剣に向き合ってきたからこそ、まだまだ進化の余地がある。その軌跡の先にキノマチ実現に向けたヒントが散りばめられていると感じました。
第2回では「木造建築を一歩進めた」と伊東さんに言わしめた水戸市民会館に携わった設計チームリーダー、構造設計者、施工責任者にお話を伺います。
Text:アサイアサミ(ココホレジャパン)
Photo:小禄慎一郎