「キノマチ会議」は、グリーンズと竹中工務店がタッグを組み、全国から仲間を募りながら、木のまちをつくるための知恵を結集し「持続可能なまちを、木でつくる」ことを目指すキノマチプロジェクトのリアル・ミーティング。また、グリーンズに連載中の、木のリテラシーを広げる記事をキノマチウェブでもシェアします。
突然ですが、みなさんのお家は木造ですか?
それとも鉄筋コンクリート造ですか?
現代社会に生きる私たちは、何に支えられて生きているかあまり意識しないで暮らしを営んでいる気がします。
都市に「木のまち」をつくろう−−−。そんなビジョンを掲げている株式会社竹中工務店との連載企画「キノマチ会議」では、人と環境にやさしい木造建築を推し進めていくことで生まれる、木のまちをつくるためのヒントを、日本各地の木を巡るステークホルダーたちにインタビューしています。
今回訪れたのは大分県日田市中津江村。日本でワールドカップ(TM)が開催された2002年、カメルーン代表選手をあたたかく迎え、一躍有名になったあの中津江村です。位置は大分県と福岡県のちょうど境、その昔「東洋の黄金郷」と称された鯛生金山跡から1キロほど離れたところにあります。
山間を縫うように奥へ、常緑樹茂る森林のなかにあるのが、「田島山業株式会社」(以下「田島山業」)。見渡す山が田島の森です。
鎌倉時代から森とともに生きてきた田島家の当代・田島信太郎さんと次代・田島大輔さん。先祖代々守ってきた田島の森を「血」でつなぎ「智」で活かす林業を実践する親子に、林業の過去、現在、そして未来についてお話を伺います。
田島信太郎(たじま・しんたろう)
田島山業株式会社 代表取締役社長
1956年、大分県日田市中津江村で代々続く林業経営者一族に生まれる。慶応義塾大法学部卒。英国・米国で約3 年間の企業研修及び留学を経て西武百貨店(当時)に就職。1985年、28歳の時、先代の急死を受けて後を継ぐ形で林業経営の道へ。1988年、田島山業株式会社を設立。林業の刷新と改革のために講演で全国を飛び回る日々。林業復活・地域創生を推進する国民会議メンバー、一般社団法人九州経済連合会・農林水産委員会林業部会委員、おおいた早生樹研究会会長、日本林業経営者協会理事も務める。
田島大輔(たじま・だいすけ)
田島山業株式会社 統括本部長
1988年、信太郎さんの長男として中津江村で生まれる。慶応義塾大総合政策学部卒。「日本で創業し、世界で活躍している企業で働きたい」とキヤノン株式会社に就職。2016年、田島山業株式会社の後を継ぐことを決意し、中津江村へUターン。現在、父・信太郎さんとともに林業の改革に邁進している。
人の一生よりもずっと長い時間軸で考えるのが林業
林業とは「山に木を植え、育て、伐って売る、そしてまた植える」を繰り返す仕事。植えた当初5~10年間は下草を刈り、木材品質を保つために枝打ちを行い、さらに大きくなるまで除間伐を10年に1回程度行います。その間、約40〜50年。どんなイノベーションが起ころうとも、この期間が極端に短くなることはありません。
すなわち、膨大な手間ひまをかけて育てた木を販売するのは自らではなく、子や孫といった次世代になり、途方もなく長いスパンの先行投資なのです。
信太郎さん 江戸時代までの林業は、山の天然林に大きな木がたまたまあったから伐り出すもので、今のように植樹する考え方はありませんでした。田島家は鎌倉時代からずっと一帯の山を所有していましたが、林業という発想はなく、江戸時代あたりで産業にしたのではないかと言われています。
信太郎さん 僕の祖父は東京大学で林業の勉強をしていました。つまり、ドイツ林学の最先端の技術を持ってつくられたのが今の田島の山です。
当時、ヤブクグリという根が曲がった品種のスギを植えていて「何に使えるの?」と聞いたら「35年経ったら、上のまっすぐなところは電柱に、曲がっているところは下駄に使えるんだよ」と教えてくれました。「お前が40歳になったら儲かるぞ」って。
しかし、時代の変化から、電柱は木からコンクリート、下駄は靴に取って代わられました。祖父のように東大で学んだインテリジェンスですら、50年後の木材活用の変化を予想することは難しかったのです。まずこの長い時間軸で成り立つ、林業の特殊性を知らなければ、本当の意味で林業の大変さを理解できません。
いま、日本の林業は他の産業とは比べものにならないほど衰退の一途を辿っています。木造離れ、安い外国産材との価格競争、様々な要因のなか木材価格は、産業を維持できないほど下がります。
そんな逆境の中、林業を営む「田島山業」のモチベーションのひとつは「先祖から受け継いだ山を守る」という使命感だといいます。
信太郎さん 祖父が植えた木を、どうやって売るかを考えるのは、今を生きる僕らの仕事です。時代が変化するのは当たり前のことで、僕らがどう知恵を絞るか。血で受け継いだものは智で生き抜いていかねばなりません。
サステナブルっていうのは、ただ永遠と物事を続けるのではなく、智慧を振り絞って続けるからサステナブルになるんだと僕は思っています。
大輔さん 先祖から受け継いだ山は守るべきもので、自分がそれを未来につないでいく。そこにやりがいを感じます。
ここには僕のおじいちゃん、ひいおじいちゃんが植えた木があって、父がいい木を育てるためにがんばって間伐して、つないできた。自分が継いでも、衰退する林業界でその使命を守り通せるか分からないですが、バトンは受け取るべきだと自分を奮い立たせました。
林業は、経済合理性が極めて低く、林業従事者の、森林や山を「受け継ぐ」使命感に支えられている産業であることがよくわかります。
継がれず放置された森林は荒廃し、森林の土壌が本来の役割を失って、土砂崩れや洪水など自然災害を引き起こし、私たちの暮らしを脅かす重大な社会問題になっています。林業は、森を保全する公共面、森に価値を見出す経済面、両面を担う重要な産業なのです。
今の林業政策では、日本の森は守れない
「田島山業」でいま一番の心配事を伺うと、「木材」ではなく「人材」。すなわち林業従事者の減少だといいます。
大輔さん 林業は全産業の中でも労働災害の発生率が最も高く、従事者の定着率も低いです。みんな山が好きで林業の勉強をしてこの仕事を志すのに…結局林業から離れてしまう。
山が好きで働こうと思ってくださる人は多く、住み慣れたまちを離れて、こんな山奥まで来てくれます。林業会社を経営する僕らは、山の仕事に従事する人たちが林業という職でなにより安全に働けて、また生涯働いていける環境づくりを目指しています。
「好き」という気持ちだけでは生きていけない。経済も伴わなければ。その現実を即座に突きつけられるのが山の仕事です。また、木にも「伐りどき」といわれる、旬の時期があります。それを見極められるのは長年山の仕事に携わってきた人たち。その匠を継業することも林業の課題と言えそうです。
大輔さん 木を伐ったら再造林することは森林の保全面で必要なのですが、いま、日本全国で伐採したうち3割しか植えられていません。再造林を考えない施業は、経済的一面で見ると有利なのかもしれませんが、当然放置された山は荒廃します。
僕らはもちろん再造林します。その未来へのコストを加味した上で、僕らの森をつないでいく価値観に共感してくださる方々と、森を守る新しい流通を是非作っていきたいと考えています。
信太郎さん 木材(丸太)の価格が下落し、全く採算が合わなくなっている上に、地域(農山村)が極端な過疎化老齢化で疲弊し、労働力は激減しています。こうした状況下で伐採跡地に木を植え育てるという作業は、伐採する50年後が全く予想不可能であることと、経営者の立場でビジネスライクに考えれば、むしろ「やってはならない再投資」と言えます。
さらに驚くべきは、この状況下で国内伐採量が激増しているという事実です。特に伐採量が多い九州などは顕著で、大分県ではここ数年で倍増しています。国はここ数年で「木材の自給率が上昇した」との明るい話題を提供していますが、自給率が上がって誰か幸せになったのでしょうか。林業の持続可能性を否定し、森林破壊につながる伐採量の激増を見すごせず一刻も早くやめるべきです。
古くてあたらしい林業のつなぎ方
考えれば考えるほど問題が山積する林業ですが、「田島山業」は悠久の昔から現代まで、森を「血」と「智」でつないできた林業家。時代ごとに挑戦し続けています。
信太郎さん 僕はかつて百貨店に勤めた経験がありますが、百貨店というぐらいで様々な商品を販売しています。「大半がスギで一部ヒノキ」というシンプルな商品構成は、50年先を見据えるとあまりにもリスキーです。
こうした信太郎さんの判断から、平成3年の大型台風でなぎ倒された森に、広葉樹が植えられました。
信太郎さん あの台風で田島の山の木もかなりの本数が倒れました。めちゃくちゃになった山を片付けなければならない。確かに悲惨だったけれども、「短期間で復旧せよ」との国からの指示に従い、倒木を片付けるための搬出用道路をひたすら建設し、現在の所有山林内の高密路網の基盤を整備しました。
まさに傷だらけになりながら、取り返せるものは取り返しました。被災した森林への植林作業は、福岡市を中心に学生や社会人の皆さんと一緒に行いましたが、残念なのは、スギは50年で成長するけれど、広葉樹は100~200年かかります。やっぱり成長は早いほうがいいかもしれないね(笑)。
大輔さん スギ・ヒノキのほかに早生樹、ユーカリの木なども「実験の森」で試しています。まさに百貨店ですね。そして、いま社長が植えた早生樹が20年後、もし売り先がなかったら、私が新しいことを考えて売ります。
大輔さん また、一般的な林業は山から伐りだした木は木材市場に卸すのが常。すなわち、驚いたことに林業経営者は親子代々50年もかけて育てた杉の木を、誰がどう使っているのか全く分からないのです。これは絶対におかしい。
「田島山業」では生産者とユーザー間にある距離を縮めたい、林業はみんなで楽しんで、いっしょに守りたい。そんな想いからはじめたのが「みんなの森プロジェクト」です。
信太郎さん いま、家具屋、製材所、工務店、ゼネコンの皆様とタッグを組み、お客さまとつながった形の中で直接木を売ることを試しています。お客さまに用途を聞ければ、それに合わせて森から木を選び、伐って製材所に持っていくまでの過程で工夫ができます。
信太郎さん そういう過程でお客さまと接していると、バイオマスで燃やそうと思っていた木を見たお客さまが「素敵ね」と評価してくださったりして、世間一般や市場で「いい木」と評価されているもの以外の木にも価値が生まれることがあります。
竹中工務店さんのビルに田島の森の木を使っていただいたときは、「日田の木の強度は、ほかの地域より高いんですか?」と聞かれ、今までそんな基準で木を搬出してこなかったのでびっくりしました(笑) 実際に強度を測ってみたら、この山で採れた木の強度が高いんだなと知り、お客さまが求めているものを知るにはいい機会となりました。
大輔さん エンドユーザーのみなさんに、自分が使っている木がどこからやってきて、その森では新たな苗がちゃんと育っていっているのかを意識してほしい。気を遣うだけでなく、森を守る木を選ぶこと、木の商流自体を認識してくれる人とつながり、この局面を打開する。僕らはその道を選びました。
時代のニーズが変わってくるとみなさんがほしい木が変わってくるので、木を育てる我々が、使うみなさんとつながることは今後も大切にしていこうと思います。
昔の日本では、建物を建てる大工は自分で山に入り、木を選んだそうです。木だけではなく、その木がどうやって育ち、育てた人とも交流して建物を建てました。木を使う人が木を見ることは、ずっと昔から普通に行われていたこと。時代が進み、分業が進んだことで、適材適所に人が携わる社会になりました。
「田島山業」がいま、エンドユーザーや施工主と積極的に結びつこうとしていることは、古いけどあたらしい、林業の持続可能なかたちなのかもしれません。
関係性をつくることが、林業新時代の幕開け
800年以上、長きに渡り森を守ってきた「田島山業」ですが、それは高尚なボランティア精神では決してない、とお二方ともきっぱりと言います。
信太郎さん 私たちはいちメーカーでもあるので、伐ってなんぼ。どんどん搬出して、どんどん新しい木を植えていくことが仕事です。
ビジネスマンなので社会問題はビジネスでしか解決できません。経営者としての田島信太郎は木を植えるべきなのか、という問題は常に考えています。植えた直後、何十年、経費がかかることはわかりきっているし、最初の30年間は絶対にお金にならない。林業をビジネスライク一本に考えたらできるわけない。
しかし、世の中にはビジネスだけでは解決できない問題があります。環境を守ることが命題であれば、そこはビジネスと分けて考えなければ。林業の課題を多くの方に知っていただき、公共性とビジネス両面で改革していきたいところです。
日本人すべてが当事者であるべき森林保全、そして林業問題。木を使う側の私たちは、山のために何ができるのでしょうか。
大輔さん 日本の山がちゃんとしたかたちで未来永劫残っていくためには「木がどこから来たんだろう、どういう人がつくったんだろう」と、まずそこに関心を持ってほしいです。そうすれば、「あれ? どうして禿山が増えているんだろう」という、不都合な事実も見えてくるのだと思います。
安価であればいい、木であればいい、という感覚だけで動いていると、結局、日本の森は荒廃してしまう。現場で強くそう感じています。
信太郎さん みんなが直接買えるような木の商品開発が必要だと個人的には思っています。そして私たち林業が自らをどう変革していくか。決して一般企業のCSR活動の対象などではなく、セールスプロモーションの一環として、森林と林業が役割を果たしていく。そんな当たり前のビジネス関係を構築してまいります。
信太郎さんに「お金も子孫も置いておいて、本当はどんな森林をつくりたいですか?」と投げかけてみたところ、こんな答えが返ってきました。
信太郎さん 山も好きだし、森も好きだけど、僕らは何よりも人間が好き。だから、人が自然と対話できる、そういう森にしたいです。
「人が好きだから、森を守る」
「田島山業」が鎌倉時代から受け継いできた一番大切なものは、場所でも資源でもなく、全ての日本人の根底にある、森を守る心。コンクリートに囲まれて生まれ育ち、忘れかけていた私たちの代わりに、ずっとつないでくれていました。
そして彼らの情熱に触れ、林業をもっと健全な形にしたいと願わずにはいられません。
そのために、森と人はもっと深く関わり合うことが必要ではないか。さらに、国土の3分の2が森林である日本は、森のライフサイクルを健全にすることで、山積する社会問題を解決する可能性すら秘めている気がします。
木のまちは、経済だけではなく人の心を動かす文化もつくる試み。そしてあなたも木をめぐる生態系の仲間としてつながりませんか。ぜひ「キノマチ会議」に参加して、一緒にキノマチについて考えましょう。
text:アサイアサミ 写真:小禄慎一郎