江戸時代から旅路として愛された旅の街道のひとつ、中山道の宿場町・長野県塩尻市奈良井。約400年前より賑わった町並みがほぼ完全に保存されている貴重なまちです。当時の栄えた歴史が色濃く残る様はノスタルジックな旅情を誘い、⽂化庁の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。
木曽11宿の中で最も標高が高く、難所といわれる鳥居峠の手前で旅人を癒やしてきた奈良井宿。かつて木造が主流だった時代の伝統建築がまちのあちこちに息づき、ひとと自然が生かしあった「キノマチ」が見え隠れします。
特に、奈良井宿ならではの庇と桟木は何匹もの猿頭が百数十年の風雪に耐え、今にも動き出すかのような躍動感を建築に与えているのが印象的で、格調高い造形の意匠が美しさを湛えます。
「木曽路はすべて山の中である」と「夜明け前」で島崎藤村がしたためたように山間高冷地の木曽地域は厳しい自然環境に耐えうる木造技術を用いて、ひとが木と上手に付き合ってきたのがわかります。この営みの連鎖が美しい街並みをつくりあげてきたのでしょう。
そんな奈良井宿に、複数の古⺠家を利活⽤して、建築物の営み・歴史が継承された空間、地域独⾃の⽂化資源を活⽤したサービス、奈良井宿ならではの価値が体感できる施設がオープンしました。
この建物は、標高約940メートルと日本で一番標高の高いところにある酒蔵「杉の森酒造」の母屋だったところで、2012年に廃業して以降、空き家に。まず「杉の森酒造」の酒造りを再興したいという地域の思いからはじまります。
米作りすら難しい山間の宿場町に地場の酒蔵があるのは他地域でもめずらしく、木曽の美味しい米と地場の天然水でつくる酒で旅人をもてなしたそう。
そして今、1793年の創業時から時代はだいぶ様変わりしています。京都詣での通り道であった宿場町から、奈良井宿が旅の目的地になる工夫が必要です。「杉の森酒造」は、家族や従業員に代わり第三者が事業を継ぐ「継業」を経て、マイクロブルワリー「suginomori brewery」へ。
「杉の森酒造」と同じく山の天然水と安曇野産の最高級米を用いて醸造し地域の良さを生かす伝統を受け継ぎつつ、パッケージなどを一新。新しい手法を加えることでこの地で絶えず地酒を楽しめるようリブランディング。酒造の復活は事業の継承だけでなく、奈良井宿が数百年育んできたおもてなしの心をも次世代へつなぎました。
目に見える歴史と、目に見えない技術が木の復権を支える
そして、築200年を超える立派な酒蔵を、今の時代を活きる建物に。ーー選択した手段は「リノベーション」。
「suginomori brewery」は小規模で展開していくため、建物は、レストラン・酒蔵・バー・温浴施設・ギャラリーの6業態で構成された⼩規模複合施設として利活用することに。空き屋問題と事業継承、地域の抱える課題を複合的に解決します。
プロジェクトの事業主体は、⼀般社団法⼈塩尻市森林公社、および同公社と⽵中⼯務店が出資し設⽴した「株式会社ソルトターミナル」。改修工事の設計を株式会社ツバメアーキテクツ一級建築士事務所(上原屋:ホテル、ギャラリー)、⽵中⼯務店(歳吉屋:ホテル、レストラン、バー、温浴施設、酒蔵)が⼿掛けることに。
また、本プロジェクトの企画プロデュースは47PLANNINGが担当し、同社が設⽴した新会社「株式会社奈良井まちやど」が開業後の宿泊施設・レストランなどの運営を担います。
多様な主体が連携するのは、奈良井宿に新しい価値を創造し、実装するイノベーションの生態系をつくるまちづくり。地域の文脈をていねいに紐解いて、用途変更をしていくのです。
キノマチ的に気になるのはやはり古民家改修のこと。その昔、木がひとびとの暮らしを支えてきた歴史を今に伝える建物をどのように現代に活きる改修をしていくのか。竹中工務店が「リノベーション」という手法で建築するのも新鮮です。施設に入居する宿泊施設「BYAKU Narai」の歳吉屋(旧杉の森酒造)を改修するプロセスを紹介します。
竹中工務店はいままで多種多様な中高層木造建築をつくってきたゼネコンですが、もともとある木造の伝統的な古民家群をリノベーションするのは極めて稀なこと。
竹中工務店設計部の長谷川さんは、「昔の図面を読み解き、現地に足を運んだり、地元の方とお話することで、古民家と対話しました」といいます。対話とは、母屋のかつての用途を掘り起こしていくこと。
むかしの用途・特徴でつくられた各所を、現代では「個性」として各客室に昇華する改修を試みます。おどろいたのは「蔵」も、客室として生まれ変わっていたことです。
「まちや建物に眠る百の体験や物語が体験できる宿」と銘打つ「BYAKU Narai」のコンセプトは、地域に幾多の事例ある古民家再生と通じるものです。しかし、再生された古民家の多くは、古民家の良さ(=歴史や昔の意匠を楽しむ)を生かすと、古民家の欠点(=古くて居住性が低い)も引き継いでしまい、結局、永く活用できなかったり、空き家に戻ってしまうことも。古民家の持つ良さを「快適に楽しむ」には、技術が必要なのです。
しかし、蔵の客室に入ってまず驚いたのは「寒くない」こと。ここを訪れたのは、冬の時期でしたが、暖房なしでもほんのり温かいのです。昔ながらの蔵は、貯蔵する機能を第一に、通気性を良くするため天井高につくられています。その高さを利用して1階は巣ごもり感のあるリビング、2Fは寝室と、メゾネット仕様になっています。
そして驚きなのは、土壁があらわしになっていること。支える木の構造もしっかりと見て取れます。古民家の改修では、快適性のために断熱材で覆うこと多く、元々の意匠や構造を残せないことがジレンマとなることがあります。
ここでは分厚い土壁に囲まれた蔵の特徴である安定した温熱環境を活かしつつ、屋根からのトップライトやガラスの開口部、吹抜け空間をつくるなど工夫を凝らして、空間も環境も快適性を両立しています。
居住空間の快適さは、現代建築が培ってきた技術が叶えてきたこと。古民家の意匠をそのままに、居住空間の快適さを担保されています。昔ながらの土壁や梁柱の意匠に囲まれ、そこで何不自由なくくつろげ、希少性と快適性が両立する、今と昔の最新技術が地続きとなった建物なのです。
古民家の雰囲気を壊さず、ラグジュアリーさを担保するのは、歴史にリスペクトしつつ依存しないデザイン。床や壁に使用されている塗材はなんと漆。自然素材に自然素材をあわせる贅沢が、特別な時間を生み出します。
またエイジングがかった木と漆の質感は、日本人の感性におどろくほど馴染むのです。
この地域の森林に囲まれた高湿潤な気候は、漆塗りに適していたこともあり、漆を施した日用品が身近であるこの土地の魅力を再発見できる場に。
風土から土着した文化があしらわれている贅沢な空間です。
塗り足しあと、炊事のあと、改修のあと、木のエイジング。「BYAKU Narai」にいると、木の可能性にわくわくしてきます。切りたての白肌の木も美しいですが、エイジングが進んで渋みが増した木の美しさは、どんなにお金を出しても手に入れることは難しいもの。
文書よりも雄弁に当時の空気を伝える媒体としても魅力的です。いまはもういない人々の暮らしの痕跡を丁寧に掘り起こし、私たちに最適な形で手渡す、古民家改修の最適解をここで見た気がします。この昔の日常に浸るという非日常は、現代人を深く癒やしてくれそうです。
悠久の昔から人々を支えてきた木と、木工技術が体感できる場。暮らしの痕跡を残し「綺麗」でごまかさない用の美。そこに、耐震補強を施し、技術を用いて、今の時代にフィットさせ、現代の高品質に昇華しています。
また、このプロジェクトには地域の森林資源の利活⽤を進める⼀般社団法⼈塩尻市森林公社も関わっていますから、新たな木もふんだんに使われています。建材はもちろん、エネルギーとしても。そのお話は後編にて。
Photo & Text:アサイアサミ