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2021.11.29
「北海道ならではの自然の中で少しずつ成長していく木を建物に」ようてい森林組合 組合長 有末道弘さん
〜Hokkaido FM Center Story〜

『Hokkaido FM Center Story』は、竹中工務店の木造建築『北海道地区 FMセンター』ができあがるまでを巡る物語です。

この建物は、北海道札幌市の住宅街に建ち、地上2階建、広さ856.46平方メートルの木造オフィス計画です。この低層木造建築は「北海道だからこそ」生まれたという価値を秘めています。環境、気候、地域経済ーー北海道が内包する社会課題を解決するために⽊を⼿にとった⼈びとの、肥沃な⼟地がもたらす⼒強い森林グランドサイクルをお伝えします。

(プロフィール)
語り手
ようてい森林組合 組合長
全道森林組合連合会 理事長
有末道弘 Michihiro Arimatsu
羊蹄山の麓にある京極町生まれ。2007年より「ようてい森林組合」理事に就任。2010年副組合長になり2018年より組合長を勤めながら全道森林組合連合会の理事も兼任。2021年6月より全道森林組合連合会会長になり北海道の林業団体の要職に携わり(林業協会、会長)北海道林業の発展のため仲間と手を携えて、緑豊かな森林を守り、育てる事に生きがいを感じる日々。

梱包材から建築材へ。価値が高まる道産材

北海道地区FMセンターでは、私が組合長をつとめる「ようてい森林組合」の森林(約20ヘクタール)から伐り出したカラマツが約280立方メートル使われています。カラマツが建築に使われるようになるとは、時代が変わったなぁと感じております。

北海道は明治時代に屯田兵により天然林を切り倒して開拓がはじまったとされています。天然林のほとんどがトドマツ、エゾマツなどの針葉樹で、ダケカンバ・ミズナラ・シナノキ・イタヤカエデ落葉樹が入り混じる「針広混交林」を形づくっているものが多くなっています。

FMセンターで使われるカラマツを伐り出した京極町の森林。5月中旬でも雪が残る豪雪地帯。

北海道の人工林の樹種はカラマツ、トドマツが大半です。カラマツはかつて炭鉱の坑木に多く利用されていましたが、炭鉱の閉山とともに利用が減少していきました。その後経済の発展と共に貿易が盛んになり、梱包材、パレット材などに利用されるようになりました。カラマツの特徴は「ヤニ」が多く、曲がり、よじれ、割れなどがあることから、住宅建築にはあまり使われてきませんでした。

そんなカラマツですが、近年では乾燥技術や接着技術などの技術開発が進み、建築用材としても用いられるようになってきました。カラマツは成長するほど強度が高くなるのが特徴です。特に羊蹄山周辺のカラマツは、気候や地形の影響により強度が高く、林産試験場と共同で高強度集成材の開発が進められるなど、付加価値を高める取組みも行われています。

建築で使用するカラマツはひとつひとつのヤニツボの処理をする。

北海道の森林は現在伐採期にあり、木材利用について光が見えつつありますが、これまでの道のりは平坦なものではありませんでした。

太平洋戦争の終戦後、荒廃した山々に大規模な造林を行い、各市町村は安定した木材産業を目指してきました。
ところが40年代入ると各産業が急激に発展し、鉄鋼、プラスチックなどへの利用素材の変換や産業の大規模化が始まると共に、昭和30年代中期に始まった木材の輸入自由化の影響が出はじめました。各町村にあった木材加工工場は安い外国産材に押され撤退し、林業は後退しそれ以来、地元の森林と木材を結びつける産業が無くなり、生計として林業も成り立たず、助成金により細々と林業・林産業が維持されてきた経緯があります。

北海道特有の「木」をめぐる悩み

北海道では特に困っていることがひとつあります。いろんな経済活動の中で「原野商法」ってご存知ですか。あまり価値が高くない山林などの原野を、将来値上がりすると謳って小さく区切って販売してしまうことです。

北海道でも山林が細分化されて売買され、1980年代後半から景気の急激な後退が始まり、バブル崩壊により一気に土地の価値がなくなりました。いま40年以上放置されているものが多く、相続など引継ぎもない数多くの所有者不明用地が、森林整備の事業に支障をきたしています。奥地に所有している山林の整備、林道、作業道開設にも遠回りを余儀なくされていることに頭を悩ませています。

決して暗い話題だけではない

巷では「ウッドショック」と声高に叫ばれておりましたが、カラマツは住宅にそんなに使われてなかったので、極端にいえば、北海道はあまり影響なかったですね。ましてやコロナがあって、例年の冬より木を伐らなかったですからね。

しかし、輸入材が滞ったことなどにより全道的にどこも原木は今、足りない状況です。せっかくのチャンスなんですけど、製材所などもフル回転で動いていただいていますが追いつきません。でも、今回のことで、道産材のチャンスの糸口がちょっと見えた気もしています。

もっと道内で建築材として使われて、本州の方々にもカラマツの建築利用を認知してもらうことが北海道の課題でもあるのです。

ようてい森林組合は、森林組合には珍しく自前の製材工場を持っています。製材工場があることで私たちとしては安心して伐採することができる、利用者としては木材を安定的に手に入れることができる、製材所は山と利用者を結ぶ交差点と考えています。

ありがたいことにお客様からは「ようていの材で」と指名いただくこともあります。製材工場をフル活用して社会のニーズにこたえつつ、カラマツの新たな利用方法を見つけたり付加価値の向上を目指していきたいと思います。

羊蹄山のふもとでFMセンターの木材は搬出されている。写真:編集部

私たちはもう60年以上もここに住んでいるので、羊蹄山のある風景は当たり前であまり感動しないんですけど、遠くから来た方々がこの風景をご覧になるとすごく感動してくださいます。

FMセンターに使われる材も搬出した京極町は私の生まれ故郷でもあります。明治30年代にこの地に開拓者の姿を見るに至ったと京極村史に書かれており、私の祖父の父が香川県からの開拓者で私は4代目になります。私の幼少の頃は、父や母は、農業を営んでいましたので、学校から帰ってくるといつも農作業を手伝っていたように思います。畑の周りには木々が生い茂り日陰にならないように春に木を切り、冬の暖房の薪を作る手伝いをしていた事が懐かしく思い出されます。

私は農業高校卒業後父の後を引き継いで農業で作物を育て、多くの人に喜んでいただく「つくる喜び」を学びました。縁あって、21歳の時に妻と出合い結婚、ここで農業を営んでおりました。

叔父が指導林家のこともあって、京極町に「林友会」という林業グループがあるので入らないかと声かけがあり、「枝払い」「間伐の仕方」「チェーンソーの点検、研ぎ方」など、色々な林業の研修会に参加をした事が今の私の基礎になっているように思います。何よりも必ず「夫婦二人」での参加が基本で、妻も山に入り「鳥の声・風の音」を聞くのが楽しいようです。

北海道は「四季」がハッキリしています。季節の移ろいとともに変わる風景や、少しずつ少しずつ成長していく木や森を見るのが大好きですね。そこで育った木を、FMセンターで使っていただいています。



text:アサイアサミ photo:佐々木育弥

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