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2023.03.16
日本古来の産業「たたら製鉄」からサステナブルな森づくりを探る旅。島根県雲南市で学んだ森林への態度「キノマチ会議リアル版」レポート

今年で4回目の開催となる「キノマチ会議リアル版」。2022年は、おっちラボ(森あそびラボ)とキノマチプロジェクトの共催イベントとして、2022年11月26日 から 28日、島根県雲南市で『日本古来の森林活用とサーキュラーエコノミーを学ぶ』というエコツアーを開催しました。

今年も山林空間を自由な発想で徹底的に活用をしたいプレイヤーたちが全国各地から集まり、雲南市で古来より続く製鉄法「たたら製鉄」を体験することで、日本の森林活用について学びます。その模様と学びの一端を、主催者として、またツアーのいち参加者として素直に感じたことを中心にご紹介します。

岡野春樹 Haruki Okano
一般社団法人 長良川カンパニー代表理事、一般社団法人Deep Japan Lab代表理事 清流長良川の源流域岐阜県郡上市に家族5人で暮らす。岐阜県郡上市のローカルベンチャー創出施策「郡上カンパニー」などを手がけ、風土に根ざした事業のありかたを模索しつつ自身も東京から移住。竹中工務店との共同プロジェクト「キノマチプロジェクト」の運営メンバーでもあり、本ツアーの企画にも携わる。

僕たちは、いかに森林と関わっていけるのか

このツアーをキノマチプロジェクトと一緒に企画した「NPO法人おっちラボ」(以下おっちラボ)は、島根県雲南市を拠点に「幸雲南塾」というローカル版マイプロ塾の先駆けとして、地域の人のやりたいことを応援して形にする場を運営し続けてきた、地域の中間支援のお手本のような団体です。

代表理事である小俣健三郎さんから「森林のことに興味があるんだよね」という話を聞いたのは2021年のこと。聞けば雲南市の森林活用施策の一部として企業研修なども見据え、長良川カンパニーの郡上市での取り組みキノマチプロジェクトの取り組みを教えてほしいとのこと。

おっちラボのみなさんと継続的にお話しする中で感じたのは、ひとと真剣に寄り添い、地域の課題解決に取り組みつづけてきた人々が、<ひと>と<地域>の間に<自然>を介した<三者関係>を取り戻そうとしていること。そして、彼ら自身も、心身の自然な状態や、日常に<遊び>を取り戻そうとしていることです。


雲南市の竹を伐りだす話をしているときの小俣さんの顔は、まぶしいほど輝いていて、彼らが「森林と関わりたくなってきた」ことを感じたのです。

そこで、おっちラボとキノマチプロジェクトは雲南市をフィールドに「日本古来の森林との関わりかたが凝縮された<たたら製鉄>のことを学ぶツアーを組むことになりました。

集まった参加者の共通の問いは「今後、僕たちは、いかに森林と関わっていけるか?」です。その問いのヒントになる出会いをツアーに組み込みました。

ツアースケジュール

風土を感じられる身体を取り戻すことの大切さに気がつく神楽体験

森林と関わっていくために必要だと思った、象徴的な場面をいくつかお伝えしていきます。

雲南市には、斐伊川という宍道湖に流入する一級河川が流れており、この地に伝わる出雲神話に斐伊川と深くつながりのある「ヤマタノオロチ伝説」があります。

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その昔、度々氾濫を繰り返し人々を困らせた斐伊川とその支流を「ヤマタノオロチ」にたとえ、その治水事業をオロチ退治と考える説や、須佐之男命(スサノオノミコト)がオロチ退治して剣を得ることなどから奥出雲地方のたたら製鉄集団と大和との抗争を意味した神話ではないかとする説など、様々な解釈がありますがたいへん興味深い伝説の一つです。

(出典:雲南市HP
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このヤマタノオロチ伝説などを扱った出雲神楽を行う「西日登(にしひのぼり)神楽社中」の皆さんより、基本の舞「陰陽」の一部をレクチャーしていただき、参加者が実際に神楽を舞うワークショップを行いました。また、その準備として、岐阜県郡上市在住のトランスナヴィゲーター井上博斗さんから、感応する身体を取り戻すためのボディワークの指南を受けました。

手前が井上さん。ボディーワークの様子。

井上さんは、「現代の人が能や神楽を鑑賞する際、演者の動きが日常での自分の身のこなしとあまりにも違うので、演者と観客との境が溶けていくような鑑賞ができない。だから、実際に神楽の動きをやってみたときに、はじめて、頭ではなく身体から物語が流入してくる」といいます。

神楽のレクチャーを受けた後、最後に雲南の美しい山並みを背景に出雲神楽「簸乃川(ひのかわ)大蛇退治」を実際に鑑賞させていただきましたが、その神楽をみたとき、スサノオノミコトやヤマタノオロチの動きが不思議と自身の身体と呼応するような感覚になりました。

「簸乃川大蛇退治」の様子。

「これはひとが、草木や川など自然を感じることと同じです。「1本の木と本気で出会おうと思ったら、その木の動きを真似してみるといい。どこに重心がかかっていて、どんな風の受け方、日光の浴び方をしているのかを理解することができる」と井上さんは教えてくれました。


現代において、僕らが森林と関わろうとしたときは、実際に森林へ行き、時間をかけてそこに生きる木々や沢山の生命たちと身体を溶け合わせることからはじめてみる。頭で山林のことを考える前に、まずはその場所と風土を感じること。そして、感じられる身体を持つこと。それを心がけることがこれからの森林と自分(自社?)とのサステナブルな関係が見えてくる最短距離なのかもしれません。神楽のワークショップはそんなことを教えてもらった時間でした。

サステナビリティという言葉にとらわれて、表面的な現象ばかり見ていないか

鉄はその昔“産業のコメ” とも呼ばれ、日本の産業の中枢を担うものでした。そんな日本の鉄の主要生産地が中国山地であったことはご存知でしょうか。そして、明治の初期まで、主流な鉄の精製方法は今回のツアーの目的でもある「たたら製鉄」でした。

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たたら製鉄とは砂鉄と木炭を原料として、粘土製の炉の中で燃焼させることによって鉄を生産する製鉄法です。その技術の源流は、紀元前2000年ごろに西アジアにおいて生まれ、紀元前1200年ごろ、ヨーロッパやアジアなどに技術が拡散したと言われており、少なくとも古墳時代には日本に伝来しました。

(出典:奥出雲町HP

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かつてのたたら製鉄を近代のやり方で復元した「近代たたら操業」を見学。

たたら製鉄が特に盛んだった江戸時代、松江藩には「鉄師御三家」と呼ばれる製鉄業において中心的な役割を担った家名が存在しました。その御三家は藩の財政を支え、文化拠点としても機能したそうです。その御三家のひとつが島根県雲南市吉田町でたたら製鉄を経営する田部家でした。

たたら製鉄の文化をいまに伝える島根県雲南市吉田町(左)。吉田町の菅谷にはかつて鉄を精製していた施設「高殿」がある(右)。

現在もこの田部家の協力で運営されている近代的なたたら操業を見学し、かつて、実際にたたら製鉄が行われていた菅谷の「高殿」を見てまわりました。

たたら製鉄の営みは日本古来のサステナブルな山林活用方法だったといわれます。それは、鉄の主な原料となる「砂鉄」と「炭」の入手方法が大きく関わっていたようです。

「砂鉄」は山を削って水路に土砂を流す「鉄穴流し(かんなながし)」という方法で山土に微量に含まれる山砂鉄を採取していました。一見、自然破壊に思える開発ですが、切り崩した砂鉄鉱山は広大な棚田へ再生したといいます

採取の際、大量の土砂を川の下流に流すため、農業かんがい用水に悪影響を与え、下流域の農民たちと争いになり、一時期、採掘が禁止された場所もあったようです。環境面では工夫が必要な作業でしたが、産業としては、農閑期に操業することで農民のありがたい冬場の仕事となるなど、地域、人、自然がいかしあう産業になっていたと、いい伝えられています。

そして、たたら製鉄の要である、炎を絶やさないための「炭」の入手方法は、たたら製鉄が行われる周辺の山林の広葉樹を伐採してつくっていたそう。鉄山師たちが数十年、数百年かけて元通りの豊かな山になるよう自然の循環に合わせて緻密に伐採計画を立てて伐っていたといわれています。

このあたりのことを雲南市吉田町の「鉄の歴史博物館」研究員の岩城こよみさんにお話を伺いました。「はたからみるとたたら製鉄の鉄穴流しは環境破壊だったのではないか、などと思うかもしれません。けれど、伐採は、山林の崩れやすいところを崩すなど、山を活かす工夫がありました」

岩城さんは、表面上の事象にとらわれすぎないことが重要だといいます。この町の周辺に美しい山の景色がいまだ残っており、奥出雲の山奥に人が住み続けられること自体が、たたら製鉄が、サステナブルなやりかたをしていたなによりの証拠だといいます。

膨大な量の砂鉄と炭を得るために大勢の人が鉄穴流しをして、川に土砂を流し、山林を切り開いて炭焼きなど労働を行い、その末にようやく、たたら操業が行えます。たたら操業を行うと、自然に還らない産業廃棄物も出ます。

現代の技術をもってしても、うまれてしまう産業廃棄物。

けれど、岩城さんはこう言います。「過酷な表舞台だけを見るのではなく、その背景で現在、ここにどんな景色が残されているのかをこの目で見て、ここにどんな営みがあったのかを想像する」。

そんな話を聴いて、サステナビリティという言葉にとらわれて表面的な現象や情報ばかりを追い、本質から離れないよう気をつけたいと思いました。

「わからない」からこそ、小さくはじめてみる

ツアーの最後の夜、参加者たちで語りました。

「結局、サステナブルかどうかって、極論誰にも測れないし、わからないよね。わからないという前提にたって、それでもわかりたい、関わりたいという態度が大事」

「宮崎駿の『もののけ姫』の最後のシーンも、たたらばのあった場所は豊かな山に戻っていっていた。確かに吉田町の菅谷たたら山内(たたらのあった集落のこと)もものすごく優しくて、平和な雰囲気に満ちていた」

「自分が死んだ後にどんな景色を次の代に見せたいのか。そのために今『森林』というより、小さくてもいいからなるべく具体的な『場所』との関わりに興味がある」

「森林に企業を呼び込んで研修したりする前に、まずは自分が家の周りなどで『森あそび』をはじめたい」

という意見が印象的でした。
そんなことを語った翌日の最終日、今回のツアーの案内人のひとりであるおっちラボの平井佑佳さんが、大好きだという場所にみんなを案内してくれました。

八重滝という滝の前までの森林の散策。水面にキラキラと日が反射する沢の横を、ずっと登っていくその時間は、まるでこのツアーのご褒美のように感じられました。

八重滝までの道の、豊かな森林。

島根県雲南市で学んだことは、本当に沢山ありました。「わかった」ことは、まずは大好きな場所に大好きな人たちを連れてきて、その場所の景色をつくってくれた先人たちに思いを馳せ、自分の子どもや孫の代にどんな景色を残したいかを一緒に想像し、じぶんがいまが一番やってみたいと思っていることが「わからない」からこそ、はじめてしまおうということ。

「わからない」が「わかった」今後の森あそびラボと、キノマチプロジェクトの展開が楽しみです!

text:岡野春樹 photo:岡野春樹、ココホレジャパン

関連情報:奥出雲に刻まれた風景/竹中工務店 季刊誌 [approach] 2015秋号

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