キノマチウェブ編集仲間から編集長の指名を受けた今年5月、緊急事態宣言を受け、皆さん同様に長いこと外部から隔離されたような状態にありました。
その間、読んだ名著「ペスト」では、病疫流行を防ぐために自宅に囚われた人々の内面がこんな風に記されていました。
そういうわけで、ペストがわが市民にもたらした最初のものはつまり、追放の状態であった。(中略)われわれは別離が続く運命にあり、時間というものに対してうまく折り合いをつけるように努めなければならぬことを知る。そこでわれわれは、結局現在の囚われの境遇を再び完全に認め、過去のことだけに追い込まれてしまい、かりにそのうちの2、3の人々が未来に生きたいという誘惑を感じていたとしても、想像を心の頼りにしようとするものが、結局そのためにこうむるところの傷の痛みを感じて、少なくともできうるかぎりすみやかに、それをあきらめてしまうのであった。
「ペスト(カミュ著 宮崎嶺雄訳)新潮文庫」
自宅籠りを2か月、室内で時間だけが過ぎていく。すると意識は内側に向かい、過去の記憶に縛られていきました。
僕は家で「木」に関わる過去を探しはじめると、部屋の片隅にある段ボールに僕が小学1年のときにクレヨンで書かれた絵日記が見つかりました。世田谷の里山、「都立砧公園」での日常が書かれています。
それは人々が森林の中で昆虫採集と落ち葉拾いをして過ごしている稚拙な2枚の絵です。しかし、当時、多分、物心がついたばかりの僕にとっての主役は間違いなくあでやかな玉虫や紅葉、賑やかな家族連れと蝉であり、茶褐色で微動だにしないシイかナラの大木は大きく立派に描かれてはいるものの、背景や周辺としての脇役でしかなかったんです。
そして「その場所の今」が気になる僕は、テレワークの合間に外の空気を吸うべくサイクリングがてら記憶を頼りに砧公園に向かい、同じところを探り当てました。55年経っても木々は変わらぬ姿を見せていました。
そこで自転車を止め、同じ空間に身を置いて改めて感じたことは、木々があるから虫が集まる、木々のお蔭で人が楽しんでいる、という実感です。今の僕にとって、木々の存在感と存在意義は絵を描いた小1の時よりもはるかに大きくなっているものの、普通に訪れている人々にはまだまだ、木からは涼しげという効用を得てはいるものの、根本である木の存在には気づいていないように思えました。それでも木は黙っていますが、悔しいに決まっています。
聞くところによると近年、砧公園では樹木の手入れのボランティアや木の哲学のフィールドワークなども行われていてそれが公園の美化や木に関する実践的な学びにもなっているとのこと。
砧公園との出会いから55年。改めてキノマチ編集長という木との縁を得た僕が、まだ木に馴染みや縁が少ない人々にすぐ傍らを通り過ぎている活動やグループを紹介し、両者の橋渡していくことも、木の復権や価値再認識のための新たな一歩になり得ると考えています。さてどこまでできることやら。
(語り手)キノマチウェブ編集長
樫村俊也 Toshiya Kashimura
東京都出身。一級建築士。技術士(建設部門、総合技術監理部門)。1983年竹中工務店入社。1984年より東京本店設計部にて50件以上の建築プロジェクト及び技術開発に関与。2014年設計本部設計企画部長、2015年広報部長、2019年経営企画室専門役、2020年木造・木質建築推進本部専門役を兼務。